(99ページ) 写真ページ (100から108ページ) 座談会 「ターン・ランドで得たもの、これからのこと」 タカノケンジ[クラフト工房ラマノ施設長]、 タカダノリコ[板橋区立小茂根福祉園職員]、 シンザワカツノリ[ハーモニー施設長] (リードぶん) 「ターン・ランド」は、福祉施設やコミュニティをランド(しま)に見立て、ターンが日常的に体感できる場をつくりだす試みとして二千十六年に構想され、二千十七年からはじまった。地域に「ひらく」をキーワードに様々なプログラムを展開してきた現場では、それぞれに試行錯誤や発見、変化を積み重ねてきた。約5年間にわたって「ターン・ランド」に参加してきた3つの福祉施設の方々に座談会で話を聞いた。 聞き手: ハタマリア[アーツカウンシル東京]、 タムラユキ[特定非営利活動法人アーツ・エンブレイス] 構成、文: ナカムラミエ (小見出し) 「偶然に出会う」場をつくりたい (聞き手) お集まりいただいた3つの福祉施設は、二千十五年から「ターン交流プログラム」や「ターン・フェス」に参加しています。その後、アーティストと参加型プログラムを行って施設を地域にひらく「ターン・ランド」(以下、ランド)にも取り組んできました。あらためて、どんな思いでランド化に協力してくださったのでしょうか? (シンザワ) ターンに参加したときから考えていたのは、アートを媒介に人と人が出会うような場をつくりたいということでした。ハーモニーには幻覚や妄想などの精神症状や様々な心配ごとを抱えたメンバーが30人ほどいて、二千八年からは「幻聴妄想かるた」(※1)をつくっています。二千十四年には、かるたの展示会をエイブルアートギャラリー(※2)でやりました。  精神科領域の活動は、様々な社会的な偏見もあり、展示会のときもスタッフはおっかなびっくりでした。だけど、メンバーは意外とあっけらかんとしていて、来てくれたかたを、自分の病気に関係することが書かれたかるたのところに連れて行って、「これは僕のだよ」って言う。自己紹介の名刺がわりにして、友達をつくるワザを身につけていったんです。  そうやってメンバーが個別に友達をつくっていく様子がすごく面白かった。数十年間、メンバーは病院の友達、医療関係者、福祉関係者というほぼ決められたなかで生きてきて、それ以外の人と知り合うきっかけが少ないわけです。一生の友達でも大好きな本でも、多くは偶然に出会いますよね。その「偶然に出会う」可能性を自分たち支援者が潰しているのではないかと思いました。だから、とりあえず出会いの絶対量を担保したい。今まで出会う機会がなかった人と会えるような場をいっぱいつくり出したい。ターンに対する期待感はまずそこでしたし、それはランドでも同じでした。 (小見出し) 「よく分からないけど、やってみよう」 (タカダ) 小茂根福祉園は知的に障害のある方が通う福祉施設ですが、二千九年に「コモネスト」というブランドを立ち上げています。その目的のひとつは、私たちの商品にデザインを加えてオシャレにすることで、商品という媒体を通じてより社会の人たちに知ってもらいたい、ということ。障害への理解が深まり、障害のある人たちが暮らしやすくなる社会を目指しています。一方で、その活動を通して私たちの想いや活動を全国に伝えることはできたものの、逆に近所や地元の自治会等で知ってもらうことにはなかなかつながっていかない、という課題もありました。ですから、ランドの「地域にひらく」は、私たちの活動にすごくマッチする、と思ったのを覚えています。  とはいえ、「ランドをやりませんか」と言われたときは、「難しいんじゃないか」と一度保留にさせてもらったんですよね。なぜなら、職員への周知や理解してもらうことに課題を感じていたからです。「ターン交流プログラム」にはすでに取り組んでいましたが、まだみんな半信半疑の部分があって。施設長も、施設主体でどこまでできるのか、誰がやるのか、ほかの業務は大丈夫なのかとか、そういう不安があったと思います。私は、施設長や同僚と、ターン運営スタッフの間に挟まっている状態でした。 (聞き手) そこを実行リーダー役の高田さんが粘り強く……。 (タカダ) そうですね、粘り強く(わらい)。せっかくのチャンスだしターンは続けたほうが良いんじゃないかと思っていました。ことあるごとに朝礼でターンのことを伝えたり、「見える化」したスケジュールをつくったり、月一回の職員会議でもターンコーナーをよく設けてもらいました。職員会議って事務的な連絡事項が多く堅い場なのですが、アーティストのオオニシケンタロウさん(※3)に来てもらって、オオニシさんの口から直接話をしてもらう場をつくることもしましたね。   そういう積み重ねがあって、二千十七年3月にターン交流プログラムで「みーらいらい」と「風あるき」(※4)をやった後くらいには、職員のほうから「よく分からないけど、ランドもやってみよう」と言ってくれるようになったんです。それは大きな変化でした。ターン交流プログラムでの成果もあったし、「できない理由」が思い浮かばなくなったんだと思います。オオニシさんの真っすぐな心や真面目な姿勢が職員それぞれに響いたのもあると思います。あの柔らかいお人柄と施設利用者さんの雰囲気が合っていたのも大きかったですね。それで、二千十七年10月にランド化が承認されました。   普段、施設の活動では、何をやるにしても企画や段取り、当日までの準備など職員がゼロベースから考えなくてはいけないことが多く、計画性をもって期日までにつくり上げることに必死なのですが、実際にランドをはじめてみるとアーティストさんからの提案があったり、専門性を持ったターン運営スタッフの方たちが一緒に考えたりしてくださる。そういう意味では、とてもやりやすかったです。 (聞き手) タカノさんはどうでしたか? (タカノ) クラフト工房ラマノは、おもに知的障害のある30代の利用者さんを中心に染めや織りの製品づくり、アート活動を行っています。ボランティア活動が盛んで、せんしょく展を年2回開催するなど、ものづくりを通して地域のみなさんとつながることを目的としてきたんですよね。だから、自分たちでも「ひらく」ことをやってきてはいた。でも、小茂根福祉園さんと同じで、ラマノの見学にいらっしゃるのは遠方の人が多くて、意外と近所に住む人には知られていなかったりするんです。  二千十六年頃、みなさんとターンセンター構想会議(※5)に参加していたときは、新しい拠点をつくることを前提に「どんな機能があれば利用者さんにとって良いのか」を考えましたが、答えはなかなか出ませんでした。その後、ターン監修者のヒビノカツヒコさんから、新しい拠点ではなく「それぞれの施設をランド(シマ)に見立てて地域にひらく」という話がでたときに、「あ、それならできるかな」ってストンときたんです。  ただ、「施設を開放する」といっても何か特別な場にするのではなくて、普段やっている活動の延長線上でないと難しいと思っていました。実際にやるのはスタッフなので、忙しいところに「また、施設長が訳の分からない話をもってきた」となりかねない(わらい)。現場スタッフにとっては、福祉施設としての場所と利用者さんが一番大事なので、ランドの目的や意義がうまく浸透しないと、「何のために?」と疑問に思う人も出てくるだろうなと思いました。 (小見出し) 「ひらく」イコール「メンバーが暮らしやすくなる」 (聞き手) それぞれ独自の活動をされていますが、ごく身近な地域に知ってもらいたいという点では、共通する課題も感じていらしたんですね。 (新澤) ハーモニーも「幻聴妄想かるた」をつくってから、日本中から激励のお手紙をいただけるようになったんですけど、やっぱり近所の人にはあまり知られていなくて。たとえば、すぐ前のマンションの人にとっては「時々大きな声が聞こえて、よく分からないところ」かもしれない。だから、ランドでは「メンバーが暮らしている地域の人たちとつながるには、どうしたら良いのか」という問題設定をアーティストたちに投げかけていました。  第1回目のランドでは、フカサワタカフミさん(※6)が「幻聴や妄想の背景には彼らが生き延びていくための原始の信仰にも似た思いがある」という仮説を立てて、「かみまちハーモニーランド」(※7)というイベントを開きました。来場者にハーモニーで毎週行われているミーティングに参加してもらったり、メンバーにゆかりある場所に一緒に出かけて行ったりすることからスタートしたんです。2回目に開催したのは「お金をとらない喫茶展」(※8)で「コーヒーを飲みに来ませんか」と誘われて近所の人が上がってくると、テンギョウ・クラさん(※9)というよく分からない人がコーヒーを出してくれる(わらい)。そこで、展示してあるメンバーの「思い出の品」を見て話をしたり、絵を描いたりするという企画でした。  精神障害については全部をオープンにすれば良いというわけではないと思うんですよね。そのなかで、どうやって少しずつ「あそこはそういう場なんだ」と地域に知ってもらうのか。ハーモニーはみんなを守る場所でもあるので、「ひらく」ことで最終的に目指すのはメンバーが暮らしやすく、生きやすくなることです。 (聞き手) そういった意味で、ランドによる変化はあったのでしょうか? (シンザワ)   第一には「出会い」がありました。もともとハーモニーはお客さんがいて当たり前の場ではあるんだけど、ランドほどまとまって人が来ることはないし、高校生がいきなり上がってくることもない。「人が怖い」というメンバーも多いのだけど、そういう場だとなじめるんだなってことが分かって、「近所にお友達ができた」とか「コンビニの店員さんが、楽しかったと言ってくれた」という報告を多く聞きました。  あと、メンバーの家族に「見に来てください」と言うきっかけにもなりました。「幻聴妄想かるた」が全国紙に取り上げられると本人たちは喜ぶんですけど、親御さんからは「障害のことを表に出すなんて」と叱られたんです。「お金をとらない喫茶展」はゆるい感じなので家族からの理解が得やすかったし、実際に遊びにも来てくれました。 (小見出し) 施設を超えたランドでの出会い (聞き手) タカノさんはランドをはじめるときに不安はありましたか? (タカノ)   「ターン交流プログラム」のときからずっとイガラシヤスアキさん(※10)と一緒に活動し、ラマノのことをよく理解してくださっていたので、不安はなかったですね。参加者と一から綿を育てる「手のプロジェクト」(※11)をはじめたのですが、職員目線とは違うイガラシさんの言葉に気づかされることが多くあって、ランドをやってよかったなと思いました。   ラマノでも、染めや織りの製品づくりとは別にアート活動をやっているのですが、それでもつくりたいものをつくれば良いというわけにはいきません。かかわる人たちとの兼ね合いもあるし、できたものが利用者さんの工賃に結びつかなくてはいけない。比較的ラマノは自由なほうだとは思いますが、それでもやはり、いろいろなバランスに気をつかいます。ランドの場合はそうした必要がなく自由度がとても高いので、発想次第でどんな形にもなる面白さがありました。僕自身が一番楽しんでいたかもしれません。  ただ、そこにどう利用者さんがかかわるのかが、ずっと課題でした。1年目は週末開催にして、多くの一般参加者が来てくれたのですが、利用者さんは「なんでお休みの日にラマノに行かなきゃいけないんだろう」となってしまう(わらい)。翌年から平日も開催したのですが、すべての利用者さんがかかわれるわけではなくて……。 どうしようかと考えていた矢先に、新型コロナの影響でオンライン開催になってしまった。だから、利用者さんとの接点をどうつくるのかというランド本来のところが見えないまま、今に至っています。  もちろん一般の方に、福祉施設のことや、その背景としてある利用者さんのことを知ってもらうきっかけにはなったと思いますし、ターンを通じて海外からいろいろなアーティストが来てくださって一部の利用者さんはすごく楽しんでいました。でも、すべての利用者さんに同じように楽しんでもらいたい、という気持ちもあるんですよね。 「手のプロジェクト」には、ハーモニーの利用者さんも何人か参加されているんですよね? (シンザワ) そう。ラマノのファンがメンバーにいます。毎回、「手のプロジェクト」に参加するのを楽しみにしていて、いろいろ報告してくれるんですよ。綿花を育てているときに花が全然咲かなくて、それで虫がついたから殺虫剤かけたら枯れちゃった、とか(笑)。 (タカノ)   今年はオンライン開催で、最初に手にまつわるお題で参加者と雑談をしたのですが、「触れて心地が良いものは」という質問に、ハーモニーの方が「ハンバーグをこねているときの感触」と答えて「おお!」となっていました。ほかの参加者がそのあと話しやすい雰囲気になるんですよね。そんな感じで、ラマノの利用者さんも参加してくれると良いのですが。 ランドを通じて施設同士での出会いが生まれたのは、すごくうれしいことです。 (シンザワ)   うん、良いですよね。ハーモニーの場合は全員が同じことをしないのが当たり前の場なので、ランドのときも昼寝している人もいるし、タバコを吸いに行っちゃう人もいるし、アーティストさんが遅れて来たときにはメンバーがみんな帰っていたこともありました。ランドに参加しなくても良いんだよという雰囲気を意識して担保しているところがありますね。 (小見出し) 続けてきたなかで見えた新たな課題 (聞き手) シンザワさんは、ランドをやるなかで感じた課題はありますか? (シンザワ)   うちのメンバーは単身の高齢者で、障害が比較的重い人が多くて、あまり自分のことを肯定的に思えない人たちが多いんですよ。長時間にたくさんの量を正確にこなすような、いわゆる普通の就労作業ばかりやっていると行き詰まってしまう。そういうのが苦手で、うちに来た人も多いんです。  だから、そういう価値観とはまったく別の軸をつくろうね、ということを昔から言ってきました。たとえば「幻聴妄想かるた」には、一番できない人が逆にすごく人気者になるような「ひっくり返す作用」がある。だから、ランドでアートを活動に取り入れること自体には抵抗はありませんでした。  ただ、段々とランドが楽しくなって頑張りすぎると、義務的というか目的化してしまうんですよね。メンバーもアーティストも頑張りたいからどんどんやるんだけど、そうするとなんか就労作業より大変になっちゃう。「いつまでにこれをやって、ターン運営スタッフにこの資料を出さなきゃ」と苦しくなってきた部分もありました。  今は、もっとゆるく、表現を楽しんで、今までの価値をひっくり返すような、そういう本来の「アート」の姿に立ち返るにはどうしたら良いかな、と考えています。 (タカダ)  「アート」で言うと、小茂根福祉園では二千九年から講師を招いて「アトリエ」という活動をしているのですが、最初の目的は「開放する場であってほしい」だったんです。もちろん、利用者さんは毎日の生活、環境のなかでリラックスしている時間が多いと思いますが、少なからずストレスもある。アトリエの時間は「なになにをしなきゃいけない」ではなく、「好きなことをして良い、自由で良い」とする、講師と職員との間での共通認識がありました。でも実際にはそうもいかなくて、「アトリエ イコール 絵を描く」になり、作品展や商品のデザインの「ために」絵を描く時間というのが出来てしまったんですよね。  その点、ランドは「アーティストさんと遊べる!」みたいな感覚で、利用者さんにとってすごく楽しいばだったと思います。ランドには期限とか内容の「しばり」がほとんどなく、誰かの目を気にする必要もないですから。細かい作業が苦手な人もターンでは活躍できて、プロのカメラマンにかっこよく撮ってもらえて、自分にスポットライトがあたる。利用者さんにとって、ランドがそんな風に開放される場であったら良いなと思っています。  ただ最近は、「こういう風に表現しなきゃいけない」みたいな気持ちが、もしかして出てきちゃっていないかな、という不安もあるんです。オオニシさんとダンス(※12)をしているときに、「盛り上げなきゃ」っていう気持ちが利用者さんに生まれていたとしたら、「それでいいのかな、アートなのかな?」と思ったり……。 すごく難しいんですけど。 (小見出し) 大きくなっていたターンの存在 (聞き手) 最後に、ランドを含むターンのプログラムをやってきての「これから」についてはどうでしょうか? (シンザワ) ターンでいろいろなことをやってきて、スタッフの成長もありました。今「そもそもアートって何だろうね」という問いが出てきているのですが、それは、自分たちの求める水準が上がってきたということかもしれません。ハーモニーにとってランドは大事な文化のひとつになったと思うし、これからも機会があれば続けていきたいです。 (タカノ) ターンを経験したことで、自分たちで何かイベントをしたいと思ったときにも、規模感や費用、どういう段取りならできるのかということが考えやすくなりました。それは今後の財産になると思っています。  これまでは日々の作業が忙しくて活動を発信しきれていなかったのですが、ターンをきっかけに地域のカメラマンさんに入ってもらうようにしたんです。みんなの生き生きとした写真を撮ってくださる方で、ターンの活動以外でも撮影をお願いするようになっていて、新しいウェブサイトにも使っています。これもターンでの経験から発信の必要性というのを感じたからで、新しい一歩を踏み出すきっかけになりました。 (タカダ)   小茂根福祉園ではランドがひとくぎりするにあたって、この活動を継続するかどうかを施設長はじめみんなで検討しようとしています。利用者さんにとってどんなメリットがあるのか、それに対して職員はどうしたいのか、こういったことに職員ひとりひとりが向き合う必要があります。ただ、これまでのオオニシさんやミヤタアツシさん(※13)とのかかわりが、利用者さんにとって豊かな時間であったことは事実です。それを証明する一例として、利用者さんが掲げる1年の目標や希望に、「ターンをやりたい」ということを挙げる人が出てきているんですよね。職員もみな、利用者さんの良い変化や手応えを感じていると思います。福祉施設の職員が他業種の方々とかかわれることも有難いです。何年も続けてきて、みんなのなかにターンの存在があることを、実感しているところです。 (本文おわり) ----------- 注釈 (※1) 幻聴妄想かるた ハーモニーのメンバーが体験した幻覚や妄想、メンバーの生活を題材につくられたかるた。ハーモニーで行われている毎週水曜日のミーティングでの話を書き留めたもので、ミーティングの記録でもある。二千十八年に制作されたシリーズ3作目となる「超、幻聴妄想かるた」が販売中。 (※2) エイブルアートギャラリー(A/A gallery) 二千十年3月に日本で初めて障害のある作家の作品を専門に紹介、販売するギャラリーとして、アーツチヨダサンサンサンイチ(東京都千代田区)内でスタート。二千十二年7月からは、特定非営利活動法人エイブル・アート・ジャパンとエイブルアート・カンパニーが協働で運営するアートスペース。 (※3) オオニシケンタロウ ダンサー。東京藝術大学大学院先端芸術表現科修了後、東京、谷中界隈を活動拠点とする。その場所・ひと・習慣の魅力と出会い「こころがおどる」ことを求め続けるパフォーマー。ターンでは二千十六年から小茂根福祉園との本格的な交流を開始した。 (※4) 「みーらいらい」と「風あるき」 小茂根福祉園とオオニシケンタロウによる「ターン交流プログラム」内の企画。メンバーや職員の体をかたどったキラキラしたフィルム「みーらいらい」を棒にくくりつけて外を散歩する「風あるき」を、二千十七年3月末から実施した。 (※5) ターンセンター構想会議 「ターンセンター(仮称)」の設立を目指し、交流プログラムの参加施設やターン事務局を中心に、二千十六年5月より話し合いをはじめた。この構想から「ターン・ランド」が生まれる。 (※6) フカサワタカフミ 美術家。場や歴史、そこにかかわる人の特性に着目し、他者と共にある方法を模索するプロジェクトを全国各地で展開。二千十七年度にハーモニーとの「ターン・ランド」の取り組みとして、「かみまちハーモニーランド」を企画した。 (※7) 「かみまちハーモニーランド」 ハーモニーとアーティストフカサワタカフミによる「ターン・ランド」の取り組みとして、二千十八年2月23日から3月3日(2月25日は休み)に開催。ハーモニーで毎週水曜に行われているミーティング「愛の予防センター」への参加体験、「幻聴妄想かるた」のかるた大会などのほか、ハーモニーのメンバーを案内人に世田谷区内を散策するプログラム「タナカさんと行く 池尻、宝拾いツアー」「キンバラさんと行く 水戸黄門殺害現場検証ツアー」などを実施した。 (※8) 「お金をとらない喫茶展」 二千十八年度から「ターン・ランド」としてハーモニーで開催。アーティストやハーモニーのメンバーとともに、お茶を飲みながら一緒に絵を描いたり、メンバーが持ち寄った思い出の品について語ったりしながら、訪れた人たちと時間を過ごした。 (※9) テンギョウ・クラ ヴァガボンド。二千一年に渡米後、現在までアジア、ヨーロッパ、南米、アフリカ各国で主に教師およびフォトストーリーテラーとして活動。文化的社会的に不安定なヴァガボンド(よそ者)として一定期間ある地域に滞在し、そこで出会う他者と自らの日常に揺らぎをつくり出すカルチャーダイブを実践、人と人の間に生きる在り方を模索している。 (※10) イガラシヤスアキ 人々との協働を通じて、その土地の暮らしと自然とを美しく接続させ、景色をつくり変えるような表現活動を各地で展開。これまでのプロジェクトで、二千五年にヨットで日本からミクロネシアまで約四千キロメートル、二千十二年に日本海沿岸をたどる約九百七十キロメートルの航海を経験。「海からの視座」を活動の根底とする。 (※11) 「手のプロジェクト」 ラマノとイガラシヤスアキによる「ターン・ランド」の取り組みとして、二千十八年春より「手のプロジェクト―綿花から糸へ..―」を開催。「手」にまつわる行為や所作、表現に着目し、様々な人たちと一緒に一から畑を耕し、綿づくりを行った。二千二十年度からは、新型コロナの影響を受けてオンラインでつながる「テレ手のプロジェクト」を実施。参加者が同じ日の同じ時間に種をまき、それぞれの家で綿を育てることを通して季節の移り変わりに触れる時間を共有した。 (※12) オオニシケンタロウとダンス 二千十七年度から小茂根福祉園ではオオニシケンタロウと「『お』ダンス」プロジェクトを展開。言葉を交わさずに向き合ったふたりが「手の会話」を行い、その様子を周りから見つめるほかの参加者が、心動かされる動きや表情を見つけたときに「お」というかけ声を投げかけるというもの。「手の会話」をするふたりを「ダンサー」、周りの参加者を「『お』ダンサー」と呼ぶ。 (※13) ミヤタアツシ 美術家。ワークショップやドローイングによって、他者とのかかわりのなかにある差異を見つめることを制作の契機にしている。小茂根福祉園とは、ランド化のタイミングで交流を開始。大西と共に「『お』ダンス」などのプロジェクトに参加した。 ----------- プロフィール シンザワカツノリ 精神保健福祉士、介護福祉士。東京学芸大学教育学部卒業後、デイケアの職員や塾講師、職業能力開発センターでの木工修行を経て千九百九十五年共同作業所ハーモニー(現在は就労継続支援B型事業所)開設と同時に施設長。アウトサイダーフォーク・パンク・バンド「ラブ・エロ・ピース」のギター担当。 ─ 就労継続支援B型事業所 ハーモニー 特定非営利活動法人やっとこが運営する就労継続支援B型事業所。統合失調症や躁鬱病、パーソナリティ障害、発達障害などを抱える30人ほどのメンバーが登録。リサイクルショップの運営や公園清掃をはじめとする就労作業のほか、趣味の活動など思い思いに過ごせる場所を提供。メンバーの体験をもとにした「幻聴妄想かるた」を発売。ターンには初年度の二千十五年より「ターン交流プログラム」に参加。二千十七年度より「ターン・ランド」を実施。 たかだ・のりこ 就労継続支援B型サービス所属、サービス管理責任者。社会福祉士、介護福祉士。小茂根福祉園表現活動推進委員として、ターンの実行リーダー役を担う。二千五年、小茂根福祉園入職。ものづくりブランドのコモネストやアート活動にかかわりながら、障害者のサポートを行っている。 板橋区立小茂根福祉園 千九百八十二年に東京都板橋区から管理運営委託を受けて開設。社会福祉法人恩賜財団東京同胞援護会が運営している。生活介護サービスでは、日常の介護を行うとともに、創作活動や体の取り組み(PT訓練)、社会活動や行事を実施。就労継続支援B型サービスでは、「働く」という作業支援を中心に、生活支援、社会活動、行事を行っている。アトリエ活動では、イラストやアート制作を行い、豊かな感性や、自由な発想で自分らしい表現が生まれる場を創出している。ターンには初年度の二千十五年より「ターン交流プログラム」に参加。二千十七年度より「ターン・ランド」を実施。 たかの・けんじ クラフト工房ラマノ施設長。学生時代に染色を学び、二千年年にラマノに入社。町田市にある築百二十年の民家で、障害のある人とともにものづくりに励むとともに、物をつくるための場づくりを考えている。 クラフト工房ラマノ 東京都町田市。千九百九十二年に心身に障害をもつ人が働く場として設立。「ラマノ」はスペイン語で「手」を意味し、「ものづくりや手仕事で社会とつながる」をモットーに、天然素材を使った染め、織りの製品をつくっている。また、アトリエ活動としてアート作品の制作やグッズづくりを行うほか、一般の人が参加できるワークショップなども実施。豊かな自然に囲まれた環境で、築百二十年の古民家の母屋を中心に、メンバーと職員、地域ボランティアスタッフが協力し合い活動を行っている。ターンには初年度の二千十五年より「ターン交流プログラム」に参加。二千十七年度より「ターン・ランド」を実施。