(109ページ) 写真ページ (110から118ページ) 表現としての手話と「協働」の可能性 「「オンラインターンミーティング」の制作現場が教えてくれたこと」 執筆者:ハタマリア[アーツカウンシル東京] (リード文) コロナ禍を機に始まった、オンラインによる「ターン・ミーティング」では、アクセシビリティの新しい試みとして「ろう通訳」を導入した。そこで直面した数々の課題と、乗り越え方から見えてきた、異なる人と人との協働の意味とは? (小見出し) アナログからデジタル手話通訳へ  先日、あるニュースが目に留まった。「北京冬季五輪でエー・アイ手話アナがデビュー」。二千二十二年の北京冬季オリンピック・パラリンピックに向け、エー・アイを活用した手話アナウンサーが登場するという。音声識別や自然言語理解などのテクノロジーが搭載され、中国の「国家通用手話辞典」の基準と、長時間のスマート学習により、視聴者に専門的で正確な手話解説を提供できるよう設計されている。  日本では、ついこの夏、東京二千二十オリンピック競技大会の開幕式で、手話通訳がつけられていなかったことに批判の声が挙がり、全日本ろうあ連盟や聴覚障害者らの団体、手話推進議員連盟などが、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会、エヌ・エイチ・ケー、民放連などに改善を求めた結果、「ろう通訳」が閉会式でつけられることになった。また、一部の試合では、エヌ・エイチ・ケーが推進してきた「手話シー・ジー実況」が実況やルール解説に用いられた。コンピューターグラフィックスによる手話のアニメーション「手話シー・ジー」を自動生成する技術開発として、手話の単語一つ一つについて、実際の手話の動きをモーションキャプチャー技術で取り込み、約七千語の手話単語がシー・ジー化されたという。  「ヒト」が担ってきた手話通訳が、テクノロジーへ移管されていく。果たして、これまで行われてきたことが、全て移管しうるのだろうか。世界的な競技大会を契機に、放送サービスの拡充が進み、手話通訳はアナログからデジタルへの過渡期といえるだろう。 (小見出し」 ヒトとヒトとが理解し合える通訳とは?  そのような社会動向の中で、ターンが取り組んできたのが、「オンライン・ターン・ミーティング」(※1)での「ろう通訳」である。「ろう通訳」をオンライン上でリアルタイムに発信することに初めて挑戦するチームと、コロナ禍を機に二千二十年から実践を始めた。その制作現場は、取り組む中で見えてきた課題と議論の往還の場となり、不都合やエラーに悩みながら試行錯誤を重ねることとなった。それは、手話がコミュニケーションのためのツールではなく、一つの言語であり、豊かな表現を内在し、独自の文化を常に生成し続けていることに、何度も気付かされたからだ。ただ、それ以上に、ろう者と聴者の制作現場における異なる言語・文化・価値観を携える人たちとの協働であったからこそ、互いを理解するためにどう手を伸ばし合ったらいいか、人と人の普遍的な理解の関係について根底から考えさせられたからでもあった。齟齬の要因を突き詰めていくと、ろう者と聴者の違いを前提にすることで理解し合える糸口が見つかると感じる時もあれば、考え方の違いが根底にあると感じる時もあり、その理由は一様ではなかった。  「エー・アイ手話」の通訳現場では、常に最適化が提示されているとしたら、こうした不都合やエラーは生じないだろう。既にインプットされた方式による組み合わせであるとすれば、0から1にする形で新たな方式を生み出すことも難しい。いっぽうで、どんなに多くのデータや組み合わせがインプットされていたとしても、異なる人たちが出会う現場で起こる、無限の偶然性や異和の解消には、対応しきれないだろう。また、無限の偶然性に対応しようとすることで生み出されるアイデアとも出会えないだろう。「オンライン・ターン・ミーティング」の「ろう通訳」の取り組みは、多くの困難に直面しながらも、システムに還元しきれない、ヒトとヒトとのあいだに生じる理解へのヒントを与えてくれた。  ターン監修者のヒビノカツヒコは、ターンでやりたいことの一つとして「モノをつくることの意味や、ヒトをヒトたらしめているものとは何かということも考えていきたい。人工知能の発達で人間の仕事が奪われると言われたり、物理的な世界ではなくヴァーチャルな世界が拡張している現代において、社会のなかの芸術の役割はそこにあるのではないかとも思っています」と二千二十年に語っている︎(★1)。ターンでは、アーティストとの交流の現場のみならず、多様な人たちと実験的に取り組んだ制作現場でも、「ヒトをヒトたらしめる」ことのヒントを感じられる時間が豊かに育まれ、ターンしている瞬間に立ち会えたことを少し書き留めておきたい。 (小見出し) 「ろう通訳」を導入した経緯 二千二十年度は、新型コロナウイルス感染症拡大の感染防止対策を講じながら事業を実施する年となった。その対応に伴い、これまで会場に人が集う形で開催していた「ターン・ミーティング」もオンラインで開催することとし、なま配信における「アクセシビリティ(※2)」の導入について、どのような方法を取るか、配信テクニカルテームと相談することから始めた。  音声ガイドの導入のほか、手話通訳者へのヒアリングを通して、手話通訳者が「ワイプ」で登場し、その際、画面の状況に応じてワイプを左右に移動したり、字幕の位置やサイズを変えられる、柔軟な対応が可能となるフォーマット作りに努めた。さらに、トークの合間に行うパフォーマンスへの手話通訳の導入を検討する際に、「ろう通訳」をいれようという案が挙がった。  「ろう通訳」とは、①聴者の手話通訳者(フィーダー)(※3)が音声情報を手話で伝え、②ろうの通訳者がより分かりやすいネイティブ的な手話表現に翻訳する、というリレー方式の通訳方法である。  ろう者の表情は、細やかな質感も表現することができ、例えば「『波が打ち寄せていました』という言葉についても、ろう者が表現する波って、繊細な波の動きやダイナミックな波まで、まるで波と同化しているかのような表現が目の前で起こる感じ」だと手話通訳者のセトグチユウコは語っている(★2)。こうした表現の豊かさを「ターン・ミーティング」の視聴者とも共有していくために、ろう通訳を導入した。結果、配信画面に登場する、2めいのろう者の手話通訳者と、2めいのフィーダー、あわせて4名の体制で、全体を通して手話通訳を実践することになった。 (小見出し) 課題① 相手の視点に立って初めて分かること  この「オンライン・ターン・ミーティング」の制作の現場は、様々な難しさに直面していく。  まず、台本の存在である。テレビ番組的な、スムーズなカメラワークに長けている配信テクニカルチームは、躍動感のある制作を得意とし、登壇者の様子を綺麗に伝えてくれる。それを実現するには、カメラマン、音声スタッフ、オペレーターや演出ディレクターなど、異なる専門家が一同に動けるよう、詳細な進行と人の動きを可視化した台本が必要となる。さらに今回は、通常の台本に加え、音声ガイドや手話通訳者の動きも必要となる。関係者が増え、台本が複雑になっていくとともに、そこに書かれたことを配信テクニカルチームに読み込んでもらうためには、ろう者の習慣や背景をあわせて伝える必要があった。「なになにのシーンは、ワイプを下げてほしい。なぜなら、ろう者は、なになにに慣れていて、そこにあると情報過多になり、そもそも何を伝えたいかが分からなくなる」。ろう者は普段どのようにモノを見ていて、何を読み取り理解するのか、といったことに想像力を働かせないと、ろう者の視聴者に伝えるために必要な場面転換や画面構成の意図が、配信テクニカルチームに理解されにくい。  また、当日いざ現場に立つと、手話通訳チームにとって、適切な機材やその配置、また画面の切り替えのタイミングなど、様々な懸念が見えてきて、調整が必要になった。手話通訳チームの混乱は、テクニカルチームの混乱へとつながる。テクニカルチームは最善を尽くし、複雑な配線による体制を既に作り上げており、当日の手話通訳者チームからの変更依頼を受けるのは難しく、そう簡単には対応できない。  プログラムを企画し、ゲストや手話通訳者との相談から、配信や情報支援のオペレーションの調整までの対応を担ってきた私は、ろう者と聴者が普段捉えている世界そのものが異なり、その差異を理解した上での制作の必要性を痛感した。例えば、ろう通訳者が、手話の見え方にこだわるのは、美的な問題ではなく、言語を心地よく受け取ってもらえれば、結果、より深い豊かな内容が視聴者に伝わるからだ。手話通訳者も配信テクニカルチームも、より良く伝えていきたいという思いは同じであるものの、それぞれが想像していなかった視点や大切にしたいところが見えてきて、互いの通例ではスムーズにことが運ばない事態を経験した。それぞれが見ている世界はこんなにも異なることを実感する。 (小見出し) 課題②「音楽」をどのように感じるか  次に議論することになったのは、「音楽」にまつわる考え方である。2回目の「オンライン・ターン・ミーティング」では、ラッパーのマチ―デフ(※4)によるパフォーマンスを披露することになった。その音楽をどのように、ろう通訳で表していくのか、マチ―デフも交えて手話通訳チームと打ち合わせを行い、話し合った。  そもそも「音楽」における体験や実感は、ろう者と聴者の間で異なる。そのことから思考を始めなければ、ろう者にとって実態のない聴者の音楽を、ろう者に押し付けてしまうことになる。そこで、マチ―デフにとってのラップや音楽はどのようなものか。リズムとはどのようなもので、その魅力は何か。ろう者の世界で類似する事柄を出し合いながら、お互いの知っていること、知らないことを共有し合った。例えば、リズムに関して「ろう文化」では、「手話ポエム」という表現が存在する。聴覚障害児教育、聴覚障害者支援関連を研究するカナザワタカユキは手話ポエムについて以下のように説明している(★3)。   (引用はじまり) 芸術表現として、手話ポエム(手話歌)、演劇、手話文学も生まれている。これらの芸術性は、内容そのものだけでなく、手話によって語られる中に表れてくる。手話ポエムや手話歌と言われるものは、音や音楽を伴わず、ろう者のリズムで手話が繰り出され、手の動きで「韻」が踏まれる。 (引用おわり)  ここでいう「リズム」や「韻」の心地良さも、聴者がイメージする感覚とは異なるだろう。ろう者にとって、他者の手話を見ていて、心地良いと感じるのは「イメージが広がる」時であるという。手話通訳チームとマチ―デフとの長時間に及ぶ議論の末、今回のパフォーマンスには手話通訳をいれないという判断に至った。ろう者と「音楽」の関係性を提示するには慎重さを要したことが理由の一つであるが、そこには歴史的な要因も紐づいている。弁護士のフジキカズコは、耳の聞こえない弟とともに育った経験をもとに、聴覚障害や手話などを専門に活動しているが、「音楽」との関係について、次のように言及している(★4)。 (引用はじまり」 私自身は舞台手話通訳で歌詞を通訳した経験がありますが(声は出さず、手話のみ)、音楽や歌と手話の関係については様々なスタンスの方がいて、これまたチョー難しい!!です。  私の弟を含む、周囲の聞こえない、聞こえにくい人の中には、音楽が好きな人もいますが、音楽の授業や発音練習で苦しい思いをした人もたくさんいます。大人になってから自分の言葉である手話に出会い、声を捨てた人もいます。そう考えると、聴者が歌を歌いながら手話をする手話歌、声付き手話での「皆さん、こんにちは! 私はまるまるです。よろしくお願いします!」といった挨拶などは、有名人や政治家の方々が手話に関心を持ってくださることが嬉しい半面、自分の大切な言語を傷付けられたと感じるろう者、手話関係者もいます。 (引用おわり)  ろう者のコミュニティにおいて、「音楽」への眼差しは、それぞれが生きた環境や出会い方によって大きく異なり、文化や歴史的な視座が関わる。そうした事柄が、「音楽」の背景に横たわっていることを理解しない限り、知らず知らずのうちにコミュニケーションを分断してしまう。 (小見出し) 課題③ タイムラグ、通訳者の混乱  さらなる難しさとして挙げられるのは、時間と手話通訳者としての立場である。ろう通訳は、フィーダーから情報を受け取ってから、ろう者の表現に変換して通訳を行うため、登壇者の発言のタイミングと、ろう通訳のタイミングにはタイムラグが生まれてしまう。また、ろう通訳者に伝わってくる情報が、アートや表現など抽象的な事柄であると、通訳者は混乱してしまう傾向にある。具体性が欠けていてイメージがしづらいと、それをどのような形や動きに翻訳して通訳したら良いかの判断が困難になる。たとえ、手話通訳者の問題ではなく、話されている内容の性質による通訳の困難さであっても、視聴者はそのことを知り得る術がないため、手話通訳者の通訳スキルの問題だと思ってしまう。 (小見出し) 事前に決めすぎない、という工夫  これらの困難や課題に出会い、制作プロセスの中で議論を重ねると、様々な発想の転換(ターン)にも出会うこととなった。  例えば、二千二十年11月に実施した2回目の「オンライン・ターン・ミーティング」後の会議では、配信テクニカルチームから、「もう台本を前提にするのはやめよう」という声が挙がる。これまで台本ありきで動いてきたチームからすると、大きな変革であろう。目の前にある複雑な現場に対応することを考え直した結果、これまでの方法を一度解体するという提案だった。  これは、アーティストがターンの活動で様々なことに出会っていく中で生じる変化にも類似する。例えば、アルゼンチンのアーティスト、アレハンドラ・ミスライ(※5)が、二千十七年にターンに参加することになった時のこと。アレハンドラは、ブエノスアイレスにある、自閉症児者を対象とした造形教室で交流プログラムを行うことになり、日本にいる運営チームとメールでのやり取りを重ねながら、事前準備を行っていた。  初めて、障害者支援の現場に関わることになったアレハンドラは、どのように交流を行ったら良いか、イメージを膨らませつつ、日ごとの綿密なワークショップの企画書を提出してくれた。一方で、こちらからアレハンドラへ投げかけたことは、「あまり何をするか決め過ぎず、まずはそこにいる人たちと出会ってほしい」ということ。アレハンドラからは「なぜか分からない。どういう意味か」という趣旨の返事があり、困惑した様子だった。  交流の初日を迎えた後、アレハンドラから届いた連絡は、初めての経験における喜びと、「事前に決めすぎないで」という意味が分かったという内容だった。実際に、交流を始めてみると、事前に設計していた通りにはことは進まない。アレハンドラが教室の子供たちに「なになにを作ってみて」と言っても、同じような形にはならず、想定していなかった反応ばかり。そうした状況と出会ったアレハンドラは、まずは、そこにいる一人ひとりの特性を見つめてみよう、そこから何をするか考えようという思いに至ったという。  ワークショップに関わる人との交流をイメージして、緻密に準備された、アレハンドラにとっての企画書は、「ターン・ミーティング」における台本に読み替えることができる。これまでの既存のやり方を解体し、異なる感覚とコミュニケーションをする人たちとの交流の仕方を見出した瞬間だったのかもしれない。 (小見出し) 中断を良しとする発想の転換  手話通訳のタイムラグや、内容の分からなさによって通訳が追いつかない課題については、「その事態に遭遇した時に、登壇者に一度会話を中断していただき、改めて話してもらう」という方法を考えた。コミュニケーションというのは、完璧に伝わることの方が珍しく、齟齬の連続であるともいえるだろう。そこで手話通訳者もその場を構成する一員として、「分からない時には手を挙げて教えてもらう」ということを実践してみたのが、二千二十一年8月の「第14回ターン・ミーティング」の場であった。通常、トークイベントは、スムーズに進行することが想定され、会話を途中で中断することはないが、中断を良しとする発想の転換である。  これまでの「ターン・ミーティング」のろう通訳に取り組んできた手話通訳者をゲストに招き、ろう者と聴者が同じ舞台に立ち、「ターン・ミーティング」の現場における難しさや良かったことを率直に話す場を設けた(※6)。この日、終了後の手話通訳者たちの晴れ晴れとした表情が印象的だった。これまで、様々な手話通訳の現場で多くの困難に遭遇してきたが、それをパブリックな場で共有できる機会はなかったという。 (小見出し) 「異なる文化」を超えた協働  先述したカナザワタカユキは「ろう文化」における説明とともに、ろう者の様々なマイノリティ性をしさしている(★5)。   (引用はじまり) […]「ろう文化」は、聴者の知らないところ(しかし実はあちらこちら)に満ちあふれている。そして重要なのは、聴者はろうコミュニティに入ろうとすることで初めて、ろう文化を知らない聴者ならではの失敗をしてしまったり、失礼な行為をろう者から大目に見てもらったりといった経験ができることである。 逆に言えば、そうした経験を積むことが無ければ、いかに普段、ろう者が聴者文化に合わせているのか実感をもって理解することができない。 手話は長い歴史の中で劣ったものとみなされ、また、手話を使うろう者のやり方もまた、「社会常識がない」ふるまいと見なされてきた。それは、手話を読み取れない聴者による手話に対する誤解、偏見によるものであると同時に、ろうコミュニティの外部にいる聴者による、ろう文化への誤解、偏見によるものでもあった。 (引用おわり」  「ターン・ミーティング」の制作の現場においては、多くの難しさに出会い、挑戦しながらも、実践を終えた後にも反省や指摘の多いものとなった。たくさんのコミュニケーションを重ねた上でも、そもそもの試みの必然性や意義について疑問が湧いてくる。それでも、「何かを一緒に創出することができるのではないか」という思いがあり、その思いを共有し合えたからこそ、困難に直面しても、活動を共に続けられてきたように思う。  ろう者と聴者の協働の現場の在り方、また異なる知見や価値観を持つ人たちとの協働は、探求の一途にある。さらに、冒頭で記した「手話エー・アイ」という新しいテクノロジーの存在は、人と人の協働の意義すら問いかけてくる。それがまさにテクノロジーとの大事な付き合い方の糸口のようにも思う。どちらが良い悪いではなく、テクノロジーが成しえることを通して、人だからこそ成しえる大切な何かを見出すことができるのではないかと思う。 (本文終わり) ----------- 注釈 (※1) ターン・ミーティング 二千十七年より、年に数回開催しているトークプログラム。毎回異なるテーマのもと、ターンのプロジェクトメンバーや多方面からの専門家をゲストに、ターンの可能性について語り合う。 (※2) アクセシビリティ ターンでは、二千十七年より「アクセシビリティ」をテーマに取り組むプログラムを展開(詳細は、96から97ページに記載)。 (※3) フィーダー 聴者の手話通訳者で、音声言語で発せられている内容を、ろう者の通訳者に伝える役割を担う。 (※4) マチ―デフ ラッパー、作詞家、ラップ講師。二千十九年より「ターン交流プログラム」に参加。二千二十年にオンラインで開催された「第12回ターン・ミーティング」にて、ラップパフォーマンスを披露した。 アレハンドラ・ミスライ アーティスト。アルゼンチン出身。二千十七年に「ターン・イン・ビエンナーレスール」(アルゼンチン)に参加し、長年研究している「ランダ(レース編み)」の技術を用いて、自閉症児者を対象とした造形教室であるブリンカールに通い、「ターン交流プログラム」を実施。また、二千十八年の「ターン・フェス4」と、二千十九年の「ターン・イン・トゥククマン、ビエンナーレスール」(アルゼンチン)に参加。 (※6) 第14回ターン・ミーティング 二千二十一年8月、「コミュニケーションの難しさ」をテーマに、第1部では「オンラインなま配信における課題と可能性」と題し、ターンの現場で手話通訳を担当してきた、イシカワエリ(特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク事務局長、ダイアログ・イン・サイレンス アテンド)、サザワシズエ(特定非営利活動法人しゅわえもん、立教大学日本手話兼任講師)、セトグチユウコ(手話通訳士、アート・コミュニケータ)をゲストに招いて語り合った。 ----------- 参考文献 (★1) 「巻頭対談 3万年前、海を越えた人間に学ぶ。『違い』でつながること」『ターン・ジャーナル スプリング 二千二十 イシュー サン』 5ページ (★2) 「手話と時間 「ゆらぎの共有」」『ターン・ジャーナル ウィンター 二千二十 イシューロク』 9ページ (★3)と (★5) カナザワタカユキ「日本にあるもうひとつの言語 「日本手話とろう文化」 「シノドス」二千十五年2月17日 (https://synodos.jp/opinion/education/12917/)」 (二千二十一年12月1日閲覧) (★4) フジキカズコ「五輪開会式中継で忘れられた手話通訳「取り残される人を減らすため一緒に考えて! 多様性と調和は『チョー難しい!!』」」 「論座」二千二十一年8月24日 (https://webronza.asahi.com/national/articles/2021082300007.html) (二千二十一年12月1日閲覧) ----------- 執筆者プロフィール ハタマリア 兵庫県生まれ。東京藝術大学大学院音楽研究科音楽文化学専攻芸術環境創造修了、パリ第1大学(パンテオン=ソルボンヌ)修士課程修了。地域住民や他分野の人たちと協働するアートプロジェクトや文化政策に関心を持ち、二千十六年よりターンに携わる。