(96から97ページ) コラム アクセシビリティ・プログラムの試み (リードぶん) ターンが実験、実践の場になったもののひとつに「アクセシビリティ」がある。多彩な知覚のあり方を知り、お互いの知覚に手を伸ばし合うことのできる、新たな場の創出に向けて。 (本文)  近頃、耳にする機会が増えた「アクセシビリティ」。直訳すると「近づきやすさ」「利用しやすさ」を表す英単語ですが、使用される場面に応じて異なる意味合いで使われています。  デジタルの世界では、「製品、情報やサービスなどへのアクセスのしやすさ」という意味合いを伝えているようです。高齢や障害、病気などによる運動・視聴覚機能の制約を問わず、端末を利用することができるよう、様々な機能がハード面とソフトウェアの双方において開発されています。「バリアフリー」と類似する意味で使用されることもあり、建物や乗り物などへの出入りや、移動のしやすさに向けて、物理的な整備を進めていくことを「アクセシビリティ」と呼ぶこともあります。近年では、文化事業においても、他分野との多様な結びつきや、合理的配慮「リーゾナブル・アコモデーション」の実施などにより、障害の有無にかかわらず、芸術体験の参加を促すアクセシビリティ・プログラムの向上に関心が高まっています。  ターンでは、二千十七年の「ターン・フェス3」を皮切りに、「アクセシビリティ」の考え方やその方法について考察と実践を重ね、様々な企画を展開してきました。障害の有無にかかわらず、情報を入手できるよう、手話通訳やユー・ディートーク「字幕」などの配備を拡充しました。  しかし一方で、そうした物理的な手法によって、果たして「アクセスのしやすさ」が実現した状態になるのだろうか、という問いも生まれました。「視覚障害」「聴覚障害」といった言葉ひとつを取っても、身体的な特性のグラデーションや、それぞれが生活したり活動したりするうえで求めることはひとりひとり異なります。その対応として、ある一定の障壁を緩和する物理的な手法のみならず、「自身の周辺にいる人によるフォローを増やす」というひとりひとりの行動変化が、アクセシビリティの幅を広げる手立てになるのではないかと考えました。  そこで、企画の内容や、そこにかかわる人たちを具体的にイメージしながら、どのような対応や環境づくりが必要なのか、当事者や多方面の専門家を交えて対話を重ねました。その結果、実に多様な考えと世界観に出会うことができたのが、このターンのプロジェクトでした。  たとえば、視覚障害のある建築家のババマサタカは、「ターン・フェス3」会場全体の壁面に、「知覚のライン」という手すり状のサインを巡らせました。わら、布、フイルム、紙など。「何か手掛かりがあると空間を把握するときの安心感につながる」という自身の体験から着想したもので、手に触れるテクスチャーは展示室ごとに変化を持たせました。  また、二千二十一年の「ターンフェス6:東京都美術館」では、視覚障害や聴覚障害を持つ当事者がフォローを受ける側ではなく、フォローする側として立つ「アクセシビリティ・カウンター」という企画を展開しました。健常者含め、手話や筆談での説明や、音声ガイドなどに経験ちがある人が「アクセシビリティ・カウンター」の「相談員」として会場の最初のエリアで待機し、来場者の一人ひとり異なる様々な知覚と関心領域を大切にしながら、会場を楽しむ術を一緒に見つけていきました。その結果、「音で楽しみたい」「目で質感を感じたい」など、それぞれの知覚や関心の幅は様々であることを知り合う時間にもなりました。  このように、企画の実践を通して多彩な知覚のあり方に出会い、様々な姿への理解を一歩深めることができました。人の「違い」というのは、必ずしも目に見えたり、手で触れたりできるものに限りません。ひとりひとりの知覚と、そこから広がる世界観にも、様々な姿が存在しています。社会における多様性への理解を深めていくためには、実験的なアクセシビリティ・プログラムの経験を重ねることが、必要不可欠なのだと感じます。     (本文終わり)    (執筆者:ハタマリア)