[TURN LANDの声]「あらためて考える『おとな図鑑』って何だろう?」

TURN運営本部スタッフ
左から、話し手の近藤博子(気まぐれ八百屋だんだん代表)、眞鍋太隆(大学生)、永岡大輔(アーティスト)

大田区にある気まぐれ八百屋だんだん(以下、だんだん)で行っている「おとな図鑑」は、TURN LANDのプロジェクトの一つとして2017年に始まりました。3年間にわたり計5回実施してきた「おとな図鑑」のこれまでの記録として、2020年3月にアーカイブリーフレットを発行しました。その中で、「おとな図鑑」の立ち上げから関わってきた、気まぐれ八百屋だんだんの代表 近藤博子さんと、一緒にプロジェクトを実施してきたアーティストの永岡大輔さん、そして学生メンバーとして運営に関わっている眞鍋太隆さんのインタビューの一部を掲載しています。
本ページではインタビュー全編をまとめ、「おとな図鑑」の始まりから、続ける中で感じてきたこと、そしてこれからに託す想いまで、異なる立場で関わってきた3者のお話をお届けします。

話し手: 近藤博子(気まぐれ八百屋だんだん代表)、永岡大輔(アーティスト)、眞鍋太隆(学生メンバー)
聞き手・執筆: 岩中可南子(NPO法人Art’s Embrace)

※「おとな図鑑」とは
学校や家庭など普段の生活ではなかなか出会えない仕事をしている「大人」を招き、お話を聞いたりワークショップを行ったりしながら、子供たちが色々な働き方や生き方を知る機会を設けるとともに、「自分の好きな事を仕事にするってどういうことなんだろう」「幸せってなんだろう」と考えるきっかけをつくります。

ー「おとな図鑑」は2017年にスタートして、これまで計5回開催してきました。「おとな図鑑」が始まった経緯について、教えてください。

永岡: だんだんに通っていた高校生が、就職活動の時期に職業のガイド本を読んでいました。寺子屋(*1)の時だったかな。「どれが良いと思う?」と言われて、僕も一緒に見ました。ゲームの攻略本みたいで、それぞれの職業がキャラクター化されている。収入がいくらとか、特殊技能がグラフで載っていて、一目でわかるようになっていました。それを見て逆に、「ここから選びにくい」と思っちゃった。だって、何が面白いのかとか、そんなことはそこからは分からない。「難しいね」と、その時は終わったけれど、すごく引っかかっていて、その日の近藤さんとの雑談の中で話をしたんです。仕事に就いて働くとは何か。それが、「おとな図鑑」を考えるきっかけだったと思います。
*1:気まぐれ八百屋だんだんが2009年から行っている、子供の学習支援を行う活動。

近藤: そうでしたね。あと、永岡さんがどこかの学校でアーティストとして話をしに行った際に、「それでご飯が食べられるのか」と質問されたというお話を聞いたことがあります。それを聞いた時に、「いや、好きなものをやっていても良いでしょ」、「そのためにアルバイトして続けていく方法もあるんじゃないか」と思って。生業として生活を支えるものだけが立派なわけではないし、多くの大人が評価するような仕事でなくても良い。そうではない自由な働き方をしている大人たちを呼んできて若者に話してもらうことが、これからの生き方を考える上でプラスになるのでは、と思いました。良い学校に入って、良い企業に入っても、精神的に参っちゃう人もいる。「これ!」って思ったものに突き進むことは、その人にとって精神衛生的に良い面もありますね。

ー「子ども食堂」に来ている子供たちはそれぞれ将来の夢を持っているのですか?

近藤: とてつもない夢でも良いのに、結構現実的なものが多いですね。もっと違う夢を描いて、挫折しながら目指しても良いんじゃないかなと思います。親はそれで稼げるのかどうか心配すると思うけれど、演劇を目指して皿洗いをしている人もいたり、その人がこれって思っているならそれが良い生き方なのでは?と思います。

ー「おとな図鑑」の名前はどうやって決まったのですか?

永岡: イメージとして、たくさんの面白い大人たちにお話をしてもらいたいと思っていました。お話を聞ける人は限定されてしまうけれど、全国の「こども食堂」に通っている子供たちにどうやったら届けられるだろうと思ったら、本のように簡単に手にとって見られるもの、図鑑が良いんじゃないかなと思いました。動物図鑑などの隣に置いてあって、こんな大人もいる、あんな大人もいる、私はこれはイヤ、でもこれは好き、みたいに見てもらえたら良いなと。

ー色々な大人がいること、生き方があることを紹介したかったんですね。

近藤: そういうことを伝えられる場所って、あまりないですよね。職業紹介の本はたくさんありますが。「今の君の考えで良いんだよ」と伝えられるものって、あまりない。今これだけ引きこもりや不登校が増えているので、もっと色々な選択肢があって良いと思います。親は不登校になると勉強ができない、就職ができないと思ってしまいがちですが、学校に行ってるからといって勉強するわけでもないし。色々な生き方があっても良いということを、どうにか伝えたかったんです。

ー「おとな図鑑」は、職業図鑑ではなくて“生き方図鑑”なんですね。職業と生きることを分けていないのが面白いですね。「おとな図鑑」が大事にしていることは何でしょうか。どんな人を「おとな」として呼んでいて、どんな人にお話を聞いてもらいたいと思っていますか?

荒木義明さん(第2回「おとな図鑑」) 写真:冨田了平

近藤: 自分の思った道を生きている人ですね。最終的にどう生きるかは、自分で選ぶしかないと思います。鈴木ゴリ宣仁さん(第1回「おとな図鑑」)の進路の選び方もユニークでした(笑)。

永岡: 価値って、人が決める部分じゃないと思います。それを実践している人は魅力的だと思うし、うまくいかなくても誰かのせいにしなくて良い。これまで「おとな図鑑」に呼んだ人たちは苦労してきているはずだけれど、誰も苦労話をしないんだよね。嬉々として「次はああしたい、こうしたい」と思って、やっている。そこが大事。

近藤: 荒木義明さん(第2回「おとな図鑑」)も、数学者としての方が有名だけれど、別に生業がありますね。ゴリさんも木こりであり、牧師であり、NPO法人の職員。色々な仕事をしています。

永岡: ゴリさんは、いわゆる牧師のイメージとは全然違いますね。彼らだからできている生き方だと思います。

ー眞鍋君は、途中から「おとな図鑑」の運営メンバーとして関わるようになりましたね。参加するようになった経緯を教えてください。

眞鍋: 小学生の頃からだんだんに通っていました。一度引っ越して通えない時期があったけれど、また戻ってきて、高校生の頃から「こども食堂」のボランティアとして関わるようになりました。その後、第2回「おとな図鑑」の準備の時から「子ども会議」(*2)に参加するようになりました。
*2:アーティストと子供たちが一緒に社会や未来を考えるプロジェクト。TURN交流プログラムの一環で永岡さんが推進し、大田区内にある3つの「こども食堂」のネットワークから生まれた。

ー初めて参加した時はどんな感じでしたか?

眞鍋: 周りが大人しかいなくて、自分だけ高校生でした。自分がそこにいて良いんだろうかとプレッシャーを感じていました。「こども会議」では、どうやったら「おとな図鑑」に子供が来やすいか、子供目線で意見を言っていましたね。その頃から、高校の同級生も誘うようになり、少しずつ学生メンバーが増えていきました。

ー第1回、2回は永岡さんと近藤さんが中心になって「おとな」を呼びましたが、第3回からは眞鍋君たちも運営スタッフに加わり、広報などの準備から当日の進行などもみんなで行うようになりました。第4回「おとな図鑑」でお呼びしたマダム ボンジュール・ジャンジさんは、眞鍋君たちで出演依頼にも行きましたね。ジャンジさんをお呼びしたのはなぜでしょうか?

眞鍋: ジャンジさんが働いているakta(アクタ)はHIV予防啓発センターだけれど、そもそも自分はLGBTに興味がありました。今、大学で障害福祉論を勉強していて、LGBTは差別されやすいと知りました。なんでなんだろうと思った。その考え方や見方を変えられれば、もっと自由に好きに生きられるのではないかと思って、LGBTについてもっと知りたいと思いました。
 実際に新宿二丁目に行ったのも良かったです。aktaは、だんだんの新宿二丁目版のような印象でした。あの雰囲気は好きだったな。

マダム ボンジュール・ジャンジさん(第4回「おとな図鑑」) 写真:鈴木竜一朗

ー「おとな図鑑」の企画や運営に関わるようになって、どんな人に来て欲しい、どんな風になって欲しいと思うようになりましたか?

眞鍋: さっき、子供たちが現実味のある仕事を選ぶという話があったけれど、それは当たり前だと思う。そもそも大人が「おとな図鑑」の考えを理解してくれているか、と思うことがあります。大人の考え方が変わらないと、その後の世代が育たない。子供より、子供を育てる大人の世代に聞いてもらいたいと思っているので、学校の先生や大学の友達を呼んだりしています。
 今は「おとな図鑑」のターゲットがバラバラだから、絞りたいです。あと、会場の池上福祉園は遠くから来る人にとっては分かりにくいと言う意見をもらったので、もっと分かりやすいところの方が良いのかなと思いました。

永岡: ターゲットって本当に絞る必要があるのかな?それから、どんなに分かりやすい場所にしても、遅れちゃう人はいると思う。話が本当に良かったら、遅れて来た人も次から早めに来てくれるかもしれない。何でもかんでも分かりやすいように、便利なようにという選択肢でどんどん自分たちの手の外の場所に移って行く方が、「なんでそこでやっているのか」という気持ちをつなぎとめていられなくなる気がしています。
 近藤さんが初めて、この場所(だんだん)を用意してくれて、ここでできることが何よりも嬉しかったです。それで今度は、近藤さんのネットワークの中で池上福祉園を紹介してくれて。通常は福祉施設として使っているけれど、週末「おとな図鑑」で使えることになって、すごい良いなと思いました。それが自分たちの手が届く範囲で、みんなが頑張れば集まれる場所で、ちょっとした苦労はあるかもしれないけれど、自分たちなりの工夫やアクションがある。全部が用意されているわけじゃない、それも良いと思います。

ー大事なのは、「おとな図鑑」をどういう人に届けたいかですよね。

近藤: 「おとな図鑑」を始めた時の私たちの想いは、これからの将来を考える人に届けたいというものでした。小学生低学年にとっては少しお話が難しいかもしれないけれど、聞いた記憶はずっと残ると思う。小さい子は、保護者同伴で来られたら良いと思っています。

眞鍋: それは賛成です。例えば子供が聞いたことを忘れたとしても、それを思い出させてくれる大人がいたら良いと思います。

永岡: 僕は、ターゲットを決めて、それに合わせた情報なり、サービス、ものを届けるやり方ってあまり気持ち良くないと思います。「地域」を考えた時に、そのターゲットはそこに暮らしている全員です。「おとな図鑑」も対象は子供にしているけれど、聞きたかったら誰でも来ていいんですよと言っています。興味を持った人であれば誰でも共有できるものだと思っています。

近藤: 「子ども食堂」もそうですが、一人でも必要な人が来てくれたらそれで成功だと思います。第5回「おとな図鑑」で話を聞いて泣いていた学生さんがいたけれど、それを見て、成功だと思った。数じゃないんです。一人でも来て良かったと思ってもらえたら。
 ジャンジさんをお呼びした時にも、会場でカミングアウトしてくれた子がいました。この前その子と街でたまたま会って、就職もできるようになったという話を聞きました。その子にとって、この場所に来れることも大事だと思います。一人でも「よし、自分の思う生き方をしてみよう」って、どんなに親に反対されても「あそこに来ていたあの企画をしていた大人は、自分の生き方応援してくれるかもしれないな」って、思ってもらうことが大事だと思います。
 私は、大きな成果よりも、小さな成果の積み上げが大事だと思っています。例え人が5人しか来なくても、どんな場所でも、一所懸命続けていくこと。さっきも、池上福祉園の人たちが立ち寄ってくれました。だんだんってどんなところかなって。この繋がりが大切なのだと思います。

ー第5回「おとな図鑑」の後、永岡さんは一旦プロジェクトメンバーを離れますが、今後の「おとな図鑑」がどんな風になっていってほしいと思いますか? 

永岡: 最初、近藤さんと2人でやっている時は、なんとなく共有できている感じで進められていたけれど、(眞鍋)太隆たちが入ってくれたことでギャップが生まれました。それって、話さないと分からないから大変だし、苦労も多いけれど、すごく面白いと思っています。僕らがどんなに一生懸命受け入れながらやっているつもりでも、考えが固定化していくことはあります。でも、太隆たちのように、色々な立場や意見の人と話をしていく中で、変わっていくことや気づくこともある。「おとな図鑑」も、僕らが携われる期間は長い目で見ると限られていて、今後色々な人が関わりながら続いていく中で変わっていく。変わっていって良いと思います。最初は大丈夫かなと思うこともあったけれど、どんどん自分たちで動くことも頼もしいし、今では太隆たちならどう考えるかな、なんて言うだろうなと楽しみに待ちながら打ち合わせをしている感じです。大人を呼んで話を聞くのと同じくらい、そういう時間を持てることが、とても大事なことだと思います。
 作品をつくる時もそうだけれど、作品の背後にあるものってなかなか伝わらないんです。形になったもの、できあがった、残ったものしか伝わらない。近藤さんがさっき一人でも届いたら良いと言ってたように、すぐに結果が出なくても、5年とか10年かけて染み込んでいくものもあると思います。

第5回「おとな図鑑」の様子 写真:塚本弦汰

近藤: 「おとな図鑑」は若者だけがつくっているものではなくて、色々な立場の大人も一緒に関わってくれているからこそできるプロジェクトです。大人と若者が、一緒につくっていくものがここにあるということが、まず大事ですね。大人と若者が一緒に話し合える場って今はあまりないから。そういう場としての機能も果たしているかなと思います。
 だんだんのコンセプトは、「互いの違いを認め合う」というのが一番真ん中にあります。「違いがあっていいんだよ」、ということ。それは自分たちの方向に近づいて来て欲しい、というものではなく、その違いをどうお互い受け入れて、共存していくかということです。
 永岡さんもおっしゃっていましたが、つくる過程でも大きく学んでいるわけです。私もそうだし、学生たちも、お互いに気付いていくことがたくさんあります。土を育てるのだって2-3年かかるし、種をまいて芽を出して成長するのにも時間がかかるもの。今の社会や学校では、これをやったらこうやって大成功したという、短時間で成功することを期待されがちです。でも、少しずつでも、積み重ねていくことが大事。それをここで伝えられたら、もう少し社会を変えていけるのかなと思っています。そのための1つのツールとして「おとな図鑑」がなっていけば良いかな。ずっとそこにあるということ。それが今の時代に大事だと思います。

ーだんだんも、地域にとってそういう存在になってきていますね。いつもここにあるから、地域の人が立ち寄れたり、こうした関係性が築けている。ここに来ればいつも近藤さんがいる安心感がある。何かあった時に来れる場所ですね。

近藤: 昔自分が学生だった頃は、そういう場所がありました。何かあった時に、「あ、あそこがあったな」と思える場所があることの大切さ。あの人がああやって頑張っているなら、自分も頑張ってみようかなと思える大人が1人でもいてくれたり、親には反対されても、応援してくれる大人が1人でも声をかけくれていれば、諦めずに済むかもしれないし。それが「おとな図鑑」で伝えたいことです。「大丈夫、応援する人がここにはいるよ」って。

(インタビュー実施:2020年1月31日)



近藤博子(こんどうひろこ)

1959年生まれ。歯科衛生士のかたわら、有機野菜や自然食品を扱う八百屋「気まぐれ八百屋だんだん」を営む。2012年より全国に先駆けて、子供が一人でも安心して食べに来られる「子ども食堂」を始めた。第47回社会貢献者表彰受賞。

永岡大輔(ながおかだいすけ)

1973年山形県生まれ。Wimbledon School of Art修士修了後、国内外にて個展・グループ展による発表多数。記憶と身体との関係性を見つめ続けながら、創造の瞬間を捉える実験的なドローイングや、鉛筆の描画を早回しした映像作品を制作。現在では、新しい建築的ドローイングのプロジェクト『球体の家』に取り組むなど、様々な表現活動を展開している。

眞鍋太隆(まなべたいりゅう)

2000年生まれ。小学4年生の頃からだんだんの寺子屋に通い、高校生の頃から「こども食堂」のボランティアスタッフを始める。現在、大学で社会福祉を学んでいる。

▶︎これまでの「おとな図鑑」のレポートはこちらからご覧ください
https://otonazukandandan.wixsite.com/mysite

▶︎2020年3月に発行した「おとな図鑑」アーカイブリーフレットはこちらからご覧ください