活動日誌

「桃三ふれあいの家」から「西荻ふれあいの家」へ

2021.12.19

伊勢克也アーティスト

交流先│

  • 認定特定非営利活動法人ももの会

 去年から続く「コロナ」とのお付き合いで、「桃三ふれあいの家」のみなさんとの交流の回数はすっかり減ってしまった。「コロナ」とのお付き合いを「コロナ禍」と誰が名付け使い始めたのかは知らないが、これは僕らの社会を襲ったコロナウイルスの起こした「禍(わざわい)」ということで、なるほどという感じもする。

 「禍」はそれまで当たり前のようにあった、またはあったと思われていた「日常」を大きく変えることがある。「禍」といってもさまざま考えられるけれど、例えば2011年の東日本大震災は、地球レベルの物理的動きが起こした自然の「禍」だった。それに続いて原発の「禍」は科学の「禍」、つまり人間の起こした「人災」といえるのかな。それは置いておいても、あの「禍」は社会レベル、個人レベルでしばらくの間「日常」を文字通り大きく揺さぶり続けた。あらゆるところに起きた大小の変化は、個人の認識や社会のコミュニケーションの形式や文法にその都度さまざまな疑問を投げかけ続けている。現在も。

 個人的なことなのだけれど、僕は大きな「禍」に直面するとしばらくの間、頭と心が「まっしろけ」になる。そして「まっしろしろすけ」に変態する。「まっくろくろすけ」は妖怪だけど、こいつは人間だから質が悪い。今まで3度なった。1度目は自分の身体に降りかかった「禍」。1988年に体調を崩し3ヶ月入院、あの世を少し覗いて戻ってきた。ちょうどその年は、昭和天皇の体調悪化で日本中が自粛の空気に包まれていた。2度目は2011年3月11日。説明の必要もない。天の「禍」。そして去年から続くコロナの「禍」。

 この3つの「禍」はそれぞれ形態や規模も違うのだけれど、「まっしろしろすけ」は、その都度同じようになぜか単純作業に没頭する。これは今回の「禍」で初めて確認できた「まっしろしろすけ」の生態である。2020年の緊急事態宣言発令前後から「編み物」に没頭。3.11直後はめちゃくちゃになった大学の活字工房で毎日ひたすら活字を整理した。毎日食べたものを手帳に記録することは1988年に始まった。「まっしろしろすけ」はそんな作業の繰り返しで、見失った「日常」に変わるルーティンで穴埋めしていた。「まっしろしろすけ」の僕は、ルーティンでしばらくの「日々」をさぐり、自分の中の壊れてしまった認識の棚を作り直し、今までとは違ったルールで言葉を整理し直していく。

 「コロナ禍」はTURNの活動にとっては大きな障害だった。実際にそのことによってTURNフェスの1年延長が決まり、交流やイベントの方向性や具体的な方法も考え直さなければならなくなった。ホップ・ステップ・ジャンプで東京2020オリンピック!
っていう時にジャンプ直前でスピードダウン。でも、僕はこのシフトチェンジは改めて違う視点や文脈に出会う良いきっかけになったと今は考えている。

 さて、この2年で「桃三ふれあいの家」は大きく変化した。もとあった杉並区立桃井第三小学校校内から移転し「西荻ふれあいの家」と名前を変えた。一般の雑居ビルの1階に場所を移し、以前よりスペースは狭くなり環境も変わったが内装は以前からの居心地の良さをそのままに良い空間ができあがっている。そこでまた楽しいおしゃべりというのもままならず、交流はリモートで行うこととなる。ここにまず障害が。さてこれをどう切り抜けるか。あれこれ思案しミーティングを行って、施設のスタッフ協力のもと小さな「家」を作るワークショップを行い、利用者さんの家についてのお話を手紙にしてもらうこととなった。僕のほうはワークショップのやり方の説明や、できあがった「家」作品を手にとりながらお手紙を紹介する様子を映像化してそれをYouTubeで観てもらう。それを何度か繰り返しなんとか交流を続けた。

 2021年も年末という時にやっと施設へ直接伺っての交流ということになった。ゆっくりと利用者さんと時間を過ごすのも久しぶり。思わぬ「禍」から生まれたワークショップを、時間を共有しながらやってみる。今回は「ペット」についての話。犬や猫の塗り絵を自由に楽しんでもらって、動物とのお話を伺っていく。テーマがスイッチとなってどんどんお話が広がっていく面白さ。施設のスタッフからの提案で次のテーマは「食べ物」にすることになった。自分の人生の物語を語る利用者の皆さんのしっかりとした話し言葉に、高齢者であることを忘れてしまう。みなさんと思いっきりおしゃべりを楽しむ。

 でも、午後3時を過ぎ順番に帰宅の準備の時間。座っていた椅子から立ち上がるところからさまざまな介助が必要になる。杖や手押し車、車椅子、そしてスタッフの手。老いるということは地球の引力とどうやってうまくやっていくかってこととも言える。ケアハウスの利用者はちょうどそういう方々ということでもある。

 で、「西荻ふれあいの家」となって施設の環境が少し変わったこと。あれ、これは結構大変なことなのではないか。細かいところまで気を配ったスタッフのケアの様子を見ていると、この環境の変化に慣れるまでにはかなりの苦労があったのではないかと想像する。立ち上がったところから常に目は離せない、テーブルや椅子の配置すら空間を変えて動きの間合いを変える。トイレや洗面所の配置の違いや広さの違い、どうしてもできてしまう少しの傾斜、等。気をつけなければならない環境が変わったことで、自分たちの動き方も変えなければならないだろう。さまざまな方の老いていく「日常」の中で弱くなっていく部分のバックアップしているクッションみたいな仕事なんだなあ。と、「まっしろしろすけ」は考えたのです。

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