2016年から毎年参加したTURNフェス。
始めた2015年の頃は、まだTURNを実施する事務局の体制もおぼつかず、リサーチプログラムなどの枠もなく、「日比野さんが福祉施設に行ったら充実した体験をしたらしい。アーティストはみんな福祉施設に行ったほうがいいらしい。」そんな認識のまま、自身のアート活動の延長線上にTURNの出来事を引き込んでゆくことができるならやろう、と思い、自分なりの方法でリサーチを始めた。今思えば仕組みができてからの参加ではなかったから自分流に関わることができたと思う。「オリンピック・パラリンピックの文化プログラム」ということが何を意味するのかも想像できないし、その可能性に全力で突っ込んでみてダメならやめればいい、と思っていたのが一息ついた今では懐かしい。
最初のTURNフェスでの挑戦は2つ。一つ目は、いかに美術館を路上のようにできるか、つまり野外でのパフォーマンスの時のような風景ののびやかさをどう展示室にインストールするか。二つ目は、はたらきバンドのメンバーたちが美術館に訪れてくれる状況をつくること。そしてその両方が達成され、TURNフェス2では、1回目のその様子に感銘を受けた建築家の佐藤慎也さんが一緒にやりたいと声をかけてくれ、「楽屋」という作品が生まれた。「もの」ではなく「人」が長時間いるための環境をどう展示室に実現できるか。「リラックスできて文化的な時間を過ごせる場所=楽屋」を時間軸と空間の両方からのアプローチで試みた。フェスの最終日の最後の時間帯に「本番」と「本番用の空間」を作った。それに加え、美術館の展示室だけで完結しないようにフェスの期間の後の「本番」に向けた準備(ダイバーシティサッカー大会のフラッグづくり)もすることにした。それは本番に向けて準備する身体を「楽屋」に存在させるための仕組みでもあり、それが実際の楽屋よりももっと開かれた複数の時間軸が交差する「みんなの楽屋」を実現するための仕掛けでもあった。「楽屋」自体が来場者や展覧会のスタッフたちを含む沢山の不特定の人々によるパフォーマンスなのだが、最終日に行われた「本番」のパフォーマンスは美術館の外も使い、外にいる観客やパフォーマー、ガラスの壁を隔ててステージ側にいるパフォーマー、そのやりとりもとても面白かった。最後に日比野克彦さんも登場し、沢山のハプニングが内包された魅力的な作品になった。
そして、その次のフェス3では、「光の広場」という作品を作った。ドラァグクイーンのジャンジさんが、広場にある鳩時計のように登場する大好きな作品だ。パフォーマンスメンバーには「新人Hソケリッサ!」も加わり、会期中ずっといてくれたので、二日目にはすでに汗臭い匂いが展示室のエッセンスにもなっていた。最終日、「天国のようだった。明日も来たい。」と涙ぐみながらビーズクッションを持ち帰った小磯さん(ソケリッサメンバー)の姿が私にとっても最高のギフトだった。
「光の広場」でも引き続き、展示室の外とのリンクのさせ方にはこだわっていた。ソケリッサも展示室を「路上化する」要素のひとつだが、それ以外にも「方角」を取り入れ、来場者には自分のお気に入りの場所をそれが実際に存在する方向の壁に書き込んでもらうことをした。また、クリエーションのメンバーにろう者のマリー(萩原)がいたこともあり、大勢のろう者が訪れたことも特徴的な風景として今も鮮明に覚えている。手話で話し合う人々が増えていくと、静かなんだけどとっても騒がしくて、手話という身体言語と踊りという異なる身体言語が混じり合った風景も新鮮だった。この時にクリエーションのメンバーだった手話通訳者のジャスミン(瀬戸口)に、「盲ろうはもっと面白い」と聞き、彼女の推薦で会うことになったのが、フェス5でコラボする森敦史さんだ。彼の才能との出会いは、それまでのTURNの記憶が吹っ飛ぶくらいの衝撃を受けた。そうしてそれ以後すっかり「盲ろう」を取り巻く様々な魅惑的な状況に魅了されることになる。フェス4はステージ上でのパフォーマンスだけだったので、私個人のパフォーマンスとしてテーマにしている「うた」にろう者でパフォーマーのマリーとともに向き合った。
フェス5では、先天性全盲ろう(生まれつき見えない+聞こえない)森敦史へのヒアリングの中で、私は必死に彼の文化的な時間を掘り起こそうとしていた。その時に見つけたのが「暇つぶし」の時間にする「紙を折る」という行為だった。他の盲ろう者との交流の中で、美術や音楽といったものよりも手作業の延長線上にあるなんとも言えない部分がとても気になった。なんのために作っているのか何ができているのかは問題ではないようなでもついついやって充実感を得ているそんな時間。その時間と来場者をつなぐことはできないだろうか。一人一人が暇つぶしの中で、交差する奇跡のような時間を作りたかった。でも正直、どうしたらいいかまだわからなかった。「盲ろう文化」と交差するかもしれない部屋を夢中に作った。
点字で設えを説明する案内看板を作ったら、盲者の関場さんがやってきて、一瞬で読み(当然なのだが私が何日もかけて書いた点字文だったのであまりに早く感じた)「そうなんですね!壁に穴が空いてるんですか!?」と歓喜の声を上げてくれたことが嬉しかった。フェス5の「Boatt Room」は勘だけを頼りに、いや、私の身体の中の盲ろう者と共通する身体感覚を頼りに作った作品だった。
そして、コロナ禍に突入し、2021年のTURNフェス6にTURNラボとして参加し私のTURNフェスの物語は無事閉幕するわけだが、2017年の上野公園でのTURNのPRブースでやった「ムッダ・プロジェクト」も個人的にはお気に入りの作品なので忘れたくない。自称:Ms.TURNフェスとして、ざっと振り返っておきたかった。
どの作品もとても気に入っているので、それがTURNフェスが文化事業としても捨てたもんじゃなかった証拠だと思っている。主催者・関係者のみなさま、思いっきりやらせてくれて、見守ってくれて、育ててくれてありがとう。