参宮橋のオリンピックセンターで開催されているAPDECに参加しています。
TURNというプロジェクトで出会ったシューレ大学が運営を行っている、世界のデモクラティック教育のアジア大会です。
デモクラティック教育って何?と思われるかもしれないけれど、簡単にいうと学生と教員が協力して作っていく民主教育のこと。自分の学び方を誰かに決められるのではなく、自分自身で選んで学んでいくスタイル。自由な分責任も生じるけれど、それも含めて学んでいきます。
APDECでは、世界から13か国のデモクラティック教育の学生やスタッフが参加して、互いの国の教育現場の共有や個々の国の問題について議論を行ったり、シューレ大の現役生や卒業生の各々の生き辛さやその向き合い方について語るなど様々なプログラムが開催されている。
他にも参加国の自主ワークショップも同時並行で行われていて、実に多様な視点からデモクラティック教育とそれを取り巻く環境について考えることが出来る貴重な機会になっている。
8月1日から5日までのプログラムも今日で4日目。今日は台湾とイスラエルのデモクラティック教育の基調講演に、日本のフリースクールツアー、夜は希望者のパフォーマンスが行われた。
特に夜のパフォーマンスが印象的で、お世辞ではなく皆の渾身の歌やダンスを見ることができた。
笑顔や熱量からくるその表現が、自分からすすんで学んだことで身につけたものなのだとすぐにわかった。
ここ数日、APDECに参加してきて考えさせられたのは「学びってなんだろう」ということ。私は今まで義務教育でおびただしい量を享受してきた。ただただ受け入れて、それに違和感を感じながら学校に行き続け、その違和感を音楽や美術に変えていったわけだけど、そもそもその違和感は必要だったのだろうか。
自分の意見を伝えたり、他者の意見を尊重したりするわけでなく、周りの空気に合わせること(私は合わせられなかったけど)や先生の言うことを聞くこと、絵の具の塗り方で点数をつけられ、スクールカーストに怯える9年間が義務だなんて考えられない!、と気づけなかった義務教育時代。
今の人生に後悔はない。でもあの経験はなんだったんだろう、と不思議に思う。
でも今、学校のルールに合わないのは怠けだと長年言ってきた日本のお役所たちも変わろうとしているそう。それは「人」として生きるAPDECの参加者たちの活動によって、教育制度の意識改革が行なわれてきたからなのだそう。私はそんな彼らに対してとても尊敬しているし、これからも一緒に色んなことをやっていきたいと思う。
学びってなんだろう、自分を生きるってなんだろうみたいなものを、8月18-20日東京都美術館でシューレ大の子達と伝えられたらな、と思っています。