【光の広場①:《光の広場》では、おしゃべり禁止】
「美術館では、もともとおしゃべり禁止なんだけどね」と森さんが笑った。
そう。でも、光の広場ではクチパクはOKだし、猿の真似してはしゃぐのだってOK。
最初は慣れ親しんだコミュニケーション方法を奪われ、不自由さを感じるけれど、慣れてくるとなんだかとっても居心地が良くなってくる。
何かを奪われる「禁止」なのではなく、普段とはひと味違う新しい世界をみんなで体験するための「禁止」なのだ。
居心地が良すぎて何時間ものんびり過ごす人もいれば、風景の異様さに目を背け見なかった事にして走り抜けていくような人もいる。
ひたすらうたた寝をしている人もいれば、突然今まで何年間も溜め込んできた感情が抑えきれなくなり泣き叫ぶ人もいる。
誰もいない時間もあれば、人で賑わって混雑し、人の隙間を縫って通り抜けるのがやっとの時もあった。
広場にある時計台が見ている風景ってこんな感じなのかな、と思った。
そして、光の広場の鳩時計の鳥が舞う。マダム・ボンジュール・ジャンジの口パクのパフォーマンスだ。
曲はエルビスの歌う♪It’s now or never。
振り付けには手話が織り交ぜられていて、歌詞が聞き取れなくてもなんとなく見ていればニュアンスで話が理解できるようにもなっている。
この特別な鳩時計は、時刻を知らせるのではなく一期一会の”今”の尊さを知らせてくれる。
【光の広場②:広場と言えば噴水。噴水の役割りをしていたのは、ひとりひとりの“吐露”だったきがする。】
光の広場に入ると、魚の形をしたピンク色のシールに「したいこと」等を書く“鯛シール”の場所がある。
「~~になりタイ」とか「○○しタイ!」と書いてそのシールを自分に貼る。
人生の目標を描く人や、今食べたいものを描く人、とにかく休みたい人など色々な欲望を書く人がいたが、
「再婚したい!」と潔く書いた人と「ひいろを」と覚えたての味わい深いひらがなで書く幼い男の子には心打たれた。
ずっと悩んでいてなかなか書けずにいる人に、「なんでもいいよ」と筆談で伝えるたび、そういうことではない、と気付かされた。
「自分のしたいこと」はひとりひとりにとって真摯に向き合いたい事柄であり、どうやら安易に書きたくない事柄なのだ。
そして、それを書き記したシールを体に貼付けたあとのみんなのドヤ顔!素敵でした。
恥ずかしそうにしている人も、みんなに見つけられてその場の人にその欲望ごと承認されると、なんだか誇らしげ。
そして、筆談でコミュニケーションをとったり、身体全身でダンス対決のように会話したり、
誰かのささやかな話を即興劇にする人がいたりと、そこに集う人々のさまざまな“告白”や“回想”が繰り返され、
人々の振る舞いはどんどん堂々としていき、それらが大袈裟なアクションによって愉快に絡み合い、
人々から溢れ出す神出鬼没な“吐露”が空間のあちこちに充満していく。
そんななんとも緩やかで濃密な空気感の中に、
抱えてきた想いが涙になってあふれ続ける子がいたり、
その奥で寝息を立てているおじさんがいたり、
「なんか臭くない?ん?この人がホームレスだから?なの?」って顔してる人がいたり、
びっくりするくらいスピードの早い手話で会話が盛り上がっていて圧倒されたり、
筆談で真剣な議論を交わしていたり。
「いつどんな人がきてもいいような余白はたっぷりあるけど無駄がない、巧妙な空間ですね」とか
「親戚の集まりみたいな連帯感が心地いい」とか
「竜宮城みたいで帰りたくない!」なんて書き残してくれる方たちもいてとても嬉しかった。
【光の広場③:社会的障害を持つ方たちとの協創を経て】
まずは、知る事の大切さ。
社会的障害を抱えた人々と関わり、何が「ない」とされていてどんな時に困るのか。
それを知る事の大切さは一緒にいる時間があれば、友だちになれば、自然と学ばざるを得ない。
それは友だちを傷つけないためにも、危険から守るためにも必要なことだから。
「耳が聞こえないってだけだね。」と言われて嬉しかったとあるろう者の方が言った。
人と関わる上で、大切な事の多くは、”何ができないか”ではないことをしっかりと認識した瞬間だった。
それに何かが「できない」のに生き抜いているということは、特別に何かが「できる」人であることも何度となく痛感させられた。
同時に何かが出来るとされている人が、そのぶんできないことに溢れていることも気付かされた。
障害を抱える人やその周囲で生きる人と向き合った時、「健常者であるあなたたちは、すぐにわたしたちを見捨てる」
そんな声にならない叫びのようなものを感じて傷つく瞬間もあった。
長い歴史の中で、さまざまな積み重ねで無自覚的に傷つけている事が沢山あるのだろう。
まだ自覚できていない差別や偏見が自分の中にもあるのかもしれない。
わたしにもわたしなりの苦労があったとしても、社会的にはアートをやっている「健常者」で「エリート」で
何不自由ないのんきな存在に見えて、いるだけでムカつかせてしまうことだってあり得る。
でも、わたしが向き合ってきた「アート」は健常者だけを対象としてきたわけではないし、
まだ私たちが気付くことさえできていない社会的マイノリティや名もなき存在にも想いを馳せてきたつもりだった。
でも、「この音はどんな音ですか?」と聴覚障害を抱える人に聞かれた時に、
あまりに言葉を持っていない自分にも気付かされ、反省した。
光の広場に流していた環境音は、たとえ耳が聞こえていてもなんとも説明のし難いものであったし、
それが聞こえなくても成立するように作っていた自負があったために
「聞こえなくても大丈夫」と優しさのつもりでつい雑な言葉を発してしまったばっかりに、相手をがっかりさせてしまったことがあった。
聞こえない人にとっては、たとえ聞こえなくてもせめて何がみんなには聞こえているかわかっている状態でいたい、
という想いに寄り添えていなかったのだ。
でも、ろう者の方にスピーカーに「こんな音が鳴っています」と書いて貼る事も促されたが、それは違うと思って出来なかった。
その場は悲しみを互いに飲み込んだままになってしまった。
悲しみの多くは、社会(人びと)に対する信頼が失われている事に気付かされた時におこった。
光の広場で生まれた笑顔や踊りの中にはそういった人の断絶された心根をつなぐ力がみてとれた。
あのときの悲しみは、飲み込む事しか出来なかったけれど、
この人になら、この場でなら恥ずかしいけど踊りたい、伝えたい、自分の気にいる自分でいたい、
そんなふうに思える場を、これからも作り続けたいと思った。
光の広場には、たまに、重度の知的障害を抱えた人も訪れた。
繊細な感度をもつ彼らがニコニコとご機嫌に寛いでくれた時、
勝手な勘違いかも知れないけれど、なんとも言えない幸福感が湧いてきた。
作品が認識できない人にとって、アートはなんになるんだろう。
そんな愚問を瞬時に消し去る強さがあった。
いい作品が出来た時には、そこに訪れる人々の放つ気配が変わる。
振る舞いも変わるし、気持ちに余裕もできて、人に優しくなれる。
みんなが気楽にしているから、子供も気楽に大声をだして笑っていた。
私がうまく説明しきれていないこと、静かにしてなきゃいけない場所ではないことを、みんなが汲み取ってくれていた。
アートに興味がある人、福祉に興味があるひと、どちらにも全然興味ない人……
色々な人がいて初めて成り立つ社交資本といえるアートがこれからはどんどん増えて、
アートがTURNしてみんなのものであり続けますように。