活動日誌
見届けることの大切さ ~奈良〜京都「たんぽぽの家・みずのき・アートミーツケア学会」4泊5日~
2017.12.22
滝沢達史交流先│
- 一般財団法人たんぽぽの家
- 社会福祉法人松花苑 みずのき
みずのき・たんぽぽとの出会い
今から20年も前、まだ美大の学生だった時に出会った一枚の絵がある。その絵は簡素な果物のような形が並ぶモノクロの絵画で、木炭の粉が下に落ちる痕跡を残した画面には、書き手の純朴な手仕事が現れていた。アウトサイダーアートについて少しの知識はあったものの、日本にもこのようなものがあると知ったのが「みずのき(*1)」との出会いだった。インターネットがようやく市場に出始めた時代のこと、まだ情報を得るすべもなく、その頃ちょうど始まった「エイブルアート(*2)」のシンポジウムに参加しては制作者の姿を思い浮かべた。大学卒業後、東京の特別支援学校で10年勤務し、その後ポコラート(*3)の企画に関わらせてもらうなどの経験を経たことが、今の活動につながっているように思う。今回はとても個人的な理由になるが、TURNで初めてのリサーチに出かけるにあたり、初心の現場を訪問したくなった。
見届けること - たんぽぽの家
滞在中に参加した「アートミーツケア学会」で、この5日間に通底する言葉に出会う。学会のシンポジウムで保坂健二朗さんが「見届けることの大切さ」という言葉を使い、一人の障害のある作家を映像で紹介した。作家はハサミで紙を細かく切りながらも片足の甲に別の椅子の足を乗せ、倒れないようにゆらゆらとバランスを取りながら制作をしている。他にも制作とは一見無縁に思われる規定の行動を取り、制作は一直線に行われない。しかしその手仕事は神業のようであった。映像を見ながら保坂さんは「以前は作品だけあれば良いと思っていたが、今は作家の背景も重要な要素だと考えを改めた。」と述べた。その話に続き、「うまく言えないことや、形にならないことが許される場について」と、藤浩志さんが話され、対話の結びに保坂さんは、「その状態を見取る、もしくは看取る」という言葉で締めた。「見届ける、見とる、看取る」その言葉は訪問先で幾度も思い出され、最終日には文字通り看取りの現場に立ち会うことになった。
看取ること - みずのき
みずのきを訪問する前日、担当の奥山さんからスケジュール変更の連絡を受けた。入所者の方が他界されたので、その葬儀を施設内で行うとのことだった。そして、「もしよろしければ一緒に参列していただけませんか」と、お誘いをいただいた。みずのきでは入所利用者の葬儀を施設内で行うことが増えている。これには利用者の高齢化と共に、ご家族の代が代わり、関わりのほとんどない方が身元引き受け人になられたりしていることへの配慮である。家族の居ない、たいへん寂しい葬儀をしばしば経験したこともあり、それならば、一緒に過ごした職員や利用者とともにこの慣れ親しんだ「家」から見送ろうと考えてのことだという。今年の葬儀回数は6回になるそうで、故人は51年間をみずのきで過ごされた方だった。
葬儀や食事を共にしながら、「見届ける」という言葉でこの5日間の光景が繋がれていくようだった。その日の亀岡は透き通るような青い空で、しばしその場を去りがたく思った。「見届ける、見とる、看取る」その行為を共にしたささやかな時間、形にならないその眼差しを共有した時、心は幸福感で包まれていた。もし、そのことを形として伝えることができるならば、そこには救いが生まれるかもしれない。