活動日誌

「『お』ダンス」体験説明会にて・その②

2017.12.1

大西健太郎アーティスト

交流先│

  • 板橋区立小茂根福祉園

・職員によって、本当に様々な意見を聞かせてもらった。例えば、「○○さんだったら、このプログラム」というように、特定の利用者さんを思い浮かべる意見。また、「なかなか初めは難しいかもしれないけれど、まぁ慣れれば自然にできる!」に対して「正直、“お”だけでやり取りすることは圧迫感があって、不快。利用者さんを枠に当てはめる(あるルールにのっとって行う)のは難しい。」という相反する意見。
一方、「楽しめた!」「(初めは、半信半疑だったが)気がついたらはまってしまった」などの感想もあり、本当に頼もしく思う。そして、言葉でのコミュニケーションをしない利用者さんと“手の会話”をしてみたいという率直な意見も現場にとって励みになる。

・職員さんの中にも、今回初めて接した方やTURNの活動に参加することが初めての方もいらっしゃる。一方で、会議でご一緒する方、ホールでお顔を合わす方、いろんな距離感がある。今回、活動を共にすることで、初めてだけれど一気にお名前とお人柄を覚えた方がいる。
また、これまでの接し方とまたちがった距離感で接してくださるようになった方もいる。次ぎあの方に会った時に、何て言ってあいさつをしよう、な〜んて考えてしまう。つまり、コミュニケーションの仕方が変わったということかしら。

・反省点として、自問自答になるが、少し力んだ。そのため、予定の時間がズレてしまい、結果的にディスカッションの時間が浸食されてしまった。前日も高田さんとも「たくさん言葉を交わすこと」を主旨に据えておきながら、何たる失態だ。しかし、冷静に。では、なぜ力んでしまったのかを思い返す。おそらく、焦った。もちろん、限られた時間の中で内容を伝えなければならないが、そのことで焦ったのではない。むしろ、やろうとしたことが多かったかもしれない。要素を増やすことで、答えを急いだ。その結果、入口を狭め、手渡したかったものをまるまると場におくことができなかった、かもしれない。云々かんぬん。
職員のみなさんからの意見に、利用者さんに対する説明が難しいという言葉が多く見られた。一方、輪になるゲーム、音、リズム、手の会話など、非言語的で身体的な出来事に反応する様子が印象的だった。(言葉による)説明を省くという意味ではなく、手渡したかったものをまるまると利用者さんの前へ、そして再度職員のみなさんの前へおけるようコンディションを作りたい。

・みーらいらいと比べても、「工作」や「散歩」と言語化できる、ある意味分かりやすい要素が少なく、現場にいることに不安をあおったり、じれったい風景に見えたりしているかもしれない。しかし、言語で理解すること以外の方法でその場にいることができるのもカラダだ。と、思っている。ーわかる/わからないーという「認識」や、ーやったことがあるからーという「経験」を根拠にせずとも世界に立てるのがカラダの力だと思う。
繰り返しになるが、言葉による説明をギブアップするつもりはないし、説明し続ける姿勢は貫き通すつもりだ。しかし、その上で今一度、園長が語ってくれた言葉「意味のないコトを意味のないままやりつづけること」に励まされながら、カラダが語りだす瞬間を待ちたいと思う。職員のみなさまへ、改めてお願いします。この最高にじれったい時間を一緒に味わいましょう。よろしくお願いします。

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