想像以上にすんなりと『お』ダンスを始めることができた。参加メンバーの話しの聞き方やこちらの説明を見る目に許容量を感じた。あぁ、受け取ってくれようとしているな、と。
中には、とても手の運びが丁寧でつい見とれてしまう方、誰かが間違えたりつっかかったりすると、とてもハキハキと突っ込みを入れる方。その勢いに誘われて笑いが吹き出す周囲。
一コマ々の場面は、瞬きのように生まれては消えていく。しかし、瞬きがまた次の瞬きを呼び込む。それらは、カラダが読み込む電気信号のように、メンバーのカラダを通過し、駆け巡る。
それぞれのカラダを通過する際に、電気信号が異なる反応をしながら、移り変わる。その意味において、ただそこに「いる」だけでも『お』ダンスになり得るのではないだろうか。
「ただ、いる」。それだけでいいんじゃないか。〈かわせみ〉グループには、いつも励まされる。活動はグループ全員が参加する。部屋の中央にマットを敷き、その周りを囲むように、そしてとてもリラックスした間隔を保った位置に椅子が並び、みな座ったり立ったり歩いたりしながら活動に臨む。一見、まばらでまとまり(?)がないように見える風景だが、中に入るとガラリと空気が違って感じられる。こちらが話す言葉、身振り手振り、表情の細部までよく見てくる。(当然)まったく、気が抜けない。一見、それぞれがオープンテラスでくつろいでいるように見えるが、自分の出番と知れば一瞬でスイッチが切り替わるみたいだ。くつろいで座っている(ように見える)時から、すでに場の空気を敏感に受け取り、それぞれの中で場とのキャッチボールが存在していたことが分かる。「ただ、いる」ことは、小茂根『お』ダンスの重要な基礎(立ち返る地点)になるだと思う。