秋田県にある福祉施設「小又の里」との縁は、幸運とも言えるような偶然の出会いから生まれた。
「福祉関係の方ですか?」
東京都美術館で開催されたTURNフェス3が終了し、打ち上げの代わりに近所のカフェで寛いでいた時、近くにいた女性にそう話しかけられた。
一緒にいた友人達とTURNフェス3について話していたのだが、それがたまたま聞こえてきたらしい。
福祉の仕事に携わっているわけではないが、東京都が行っているTURNというプロジェクトの一環でいろいろな福祉施設を訪問させてもらっていることを伝えると、その女性はパッと目を輝かせて「私のお父さんが働いてる施設にも是非行って欲しいです!」と興奮気味に言ってその場で自分の父親に電話をかけ始めた。
僕は呆気にとられながら目の前の彼女を見つめていたが、「父です、来てもいいよって言ってます」と彼女の携帯を差し出された時には、こういう出会い方ももあるんだなぁとなんだか不思議な思いでその携帯を受け取っていた。
面識もない彼女のお父さんと挨拶程度の会話をして、縁があれば是非、ということでその場は電話を切った。
それから彼女は僕たちのテーブルに移ってきて、お父さんの勤めているという施設について色々話してくれた。
秋田県の自然が豊かな場所にあること。
以前は近所の子供達が施設で飼っている牛や鶏と遊んだりしていたこと。
彼女自身も小さい頃から障害をもっている人々と慣れ親しんでいたこと。
僕は彼女の話を聞きながら、素敵なところなんだろうなぁとその牧歌的な風景を思い描いていた。
数日後、彼女のお父さんが仕事で東京にいらっしゃるということで、当時僕が谷中でやっていた朝限定のカフェに来ていただくことになった。
お父さんは時岡栄三さんといった。
キャリアの殆どを福祉の現場で過ごされてきた筋金入りの福祉人で、カフェのカウンター越しに発せられる栄三さん(親しみを込めてこう呼ばせてもらっている)の一言一言には説得力と深みがあった。
福祉の話だけにとどまらず人間の生き方そのものの核心に迫る栄三さんの言葉一つ一つに、僕は共感を覚えた。
ずっと後で栄三さんから聞かされたのだが、その時の僕の第一印象は「空気の読めない人」。
鋭すぎて恐いよ、栄三さん。
後日TURNの事務局から交流プログラムでの訪問にOKが出たことで、不思議な縁で結ばれた栄三さんの勤める秋田社会福祉協会「小又の里」行きが実現することになった。
「小又の里」は秋田駅から車でしばらく行った美しい山間の農村地帯にあった。
栄三さんの車から降りた瞬間、郷愁を誘うような草の匂いと澄んだ空気を感じた。
明らかに都会では味わえない開放感だ。
午後の早い時間帯ではあったが、秋田はすでに晩秋で、陽光の中にうっすらと日暮れの色が滲み始めていた。
TURNのコーディネーターさんと一緒に施設の皆さんと挨拶を済ませ、施設見学の最初に見せていただいたのが、栄三さんたちお手製のスヌーズレンルームだった。
スヌーズレンとは、視覚、聴覚、嗅覚などを器具や家具で穏やかに刺激することで脳機能の発達を促し精神を安定させる、主に福祉施設で取り入れられているセラピーだ。
と書くと僕がスヌーズレンのことを知っていたかのように聞こえるかもしれないけれど、実際は栄三さんに教えてもらうまで全く知らなかった。
「これもあれも百均で買ってきたんだよ」
そう言って部屋の照明や小物を指差しながら栄三さんはちょっとだけ嬉しそうに説明してくれた。
全体的に淡い白色で統一された部屋。
緩やかに光色を変え続ける照明。
静かに映像を映し出すスクリーン。
そして引きこもるための光も音もない押し入れ。
「スヌーズレンルームで過ごした子たちはみんな顔つきが変わって出てくるよ。親御さんがお迎えで会った瞬間に「お、今日はなんかいい事あったような顔してるね!」って言うくらいね」
僕はさっそく押し入れに飛び込んで大きなクッションを抱いた。
見学中だということを忘れてしまうような心地良さだった。
「小又の里」は知的障害者を中心とした入所支援事業・通所支援事業を行っていて、たくさんの人がここで生活介護事業・就労継続支援事業B型を通して生活を共にしている。
ある利用者さんの部屋を見せてもらったが、全て個室でプライベートも守られ、すっきりした間取りで日当たりも良かった。
お風呂の設備も素晴らしく、体に不自由を抱えている人もゆったりと体の隅々までリフレッシュできる。
利用者さん達の満足度も高く、皆さんが口々に感謝の言葉を述べていた。
見学中に栄三さんを見つけて抱きついてきた一人の利用者さんがいた。
彼女の振る舞いや話し方から、栄三さんがとても信頼されていることが伝わってきた。
栄三さんは適当にあしらっているようでいて、ちゃんと相手の様子を観察していつもと変わりがないか確認しているように見えた。
利用者さんに対する栄三さんの距離感は独特だ。
厳しい父親のようでもあり近所にいる気のいいおじちゃんのようでもある。
相手が障がいを抱えているから、と気を使いすぎる感じもない。
障がいを憐れみの対象としてでなくその人の個性として認め、誤解を恐れず言うならば、スタッフと利用者という立場すら超えた、精神的に対等な関係を築いている気がした。
見学の終わりに牛舎や鶏舎へ連れて行ってもらった。
残念ながら今はもう牛や鶏を飼っていないそうだが、栄三さんの娘さんが言っていたように以前は地元の子供達がここへ遊びに来ていたのだろう。
人気のない牛舎を抜けて外に出ると、秋田杉が立ち並ぶ山の向こうに夕日が沈もうとしていた。
翌日から作業所での作業体験をさせてもらうことになった。
「小又の里」には二つの大きな作業所がある。
一つは木工所で、ここでは利用者さん達が家具やコースター、積み木などの木工製品を製作している。
どの製品もクオリティーが高く、自治体や企業とのコラボレーションも行っているそうだ。
秋田市内にはこの木工所で作られたベンチがいくつか置かれているという。
もう一つの作業所で作られているのは「お盆とうろう」という東北地方に伝わる伝統的なお盆用のお飾りで、鐘や野菜などを模したもなかの皮のようなものに色をつけ、仏壇の前に吊るすらしい。
秋田県内でもこれを行う所と行わない所があるらしく、なかなか珍しい風習のようだが、作業所内には山のように材料が積まれており、お盆前の納品に間に合わせるため毎日製作が続けられていた。
どちらの作業所でも感じたことだが、働いている利用者さん達の集中力がとても素晴らしかった。
栄三さんが言うには、作業所で働くことは「小又の里」で暮らしている人たちにとって誇りとなっている。
入居施設から作業場までの道のりはほんの数十メートルではあるけれど、作業所で働いている人達にとってその間の移動はれっきとした通勤であり、それが彼らにとっての自尊心を育むことにつながっているという。
他者もしくは社会から何かを託されるという責任感が、彼らに精神的な安定とゆとりをもたらしている。
責任感から逃げ続けてきた僕の生き方は、彼らにとって随分不安定なものに見えるだろう。
ところで、「労働と報酬」という形以外での個人と社会との繋がり方について考えるとき、福祉の現場は素晴らしい示唆に富んでいると思っている。
経済的行為に参加できない人に対し、その人が社会に存在していることを尊重することを学ぶ機会が、今の社会にはあまりにも少ない。
今健康に働いている人も皆、いつかは老いや病気、事故などで障がいを抱える身体と向き合うことになる。
そのとき、どう自分の尊厳を見出すのか。
僕などが言えることではないかもしれないが、福祉の現場が持つ沢山の多様な個人的文化や価値観の共生例はこれからの社会がまず最初に必要とするものだと思うし、人間が皆いずれ障がい者となる定めで生まれてくるということでは、そもそも障がいの有る無しで事を語るなど無意味であって、僕たち一人一人の固定観念からの脱却とその先にある精神的な救いのようなものへの理解は、「誰もが障がいを共有している」という事実を認めることから始まるのかもしれないと考えている。
話を戻すが、二つの作業所での仕事を含め、「小又の里」で行われている日常のアクティビティにいくつか参加させてもらったが、その中でもウォーキングの時間は特に印象に残っている。
参加した利用者さん達は、圧倒的に豊かな自然の中をある程度に隊を成しながら、それぞれのペースでウォーキングを楽しんでいた。
秋田ではすでに紅葉も終わりに近づき、まるで冬の到来に慌てて散り急ぐかのように、黄色や紅色の葉が舞い落ちていた。
すでに陽も傾き、利用者さん達の歩く影が秋田杉のようにまっすぐ東に向かって地面を這っている。
一列になって田園の道を歩く利用者さん達の後ろ姿を見ながら、僕はその穏やかな時の中に、皆さんの背負っている生きるという行為が放つ苦味や渋みや悲哀の欠片のようなものが、少しづつ塵となって金色の西日に混じって空気の中に消えていくような気がしていた。
「小又の里」で暮らしている方達の中には、その障がいゆえに壮絶な生涯を歩まれてきた人もいる。
それは僕のような他所者が語れるようなものではない。
しかし、「小又の里」を訪問させていただいた三日間、子供のような笑顔で自分が描いた絵や作ったアクセサリーを見せてくれたり、時々意味を見失うような強い秋田弁で秋田のことを教えてくれたり、必ず自分が負けるという結果になるにもかかわらず指相撲をして遊んでくれた利用者の皆さん達と僕の間には、そういった過去の背景が壁や溝を作ることなく、そのモメントをフラットに楽しめた気がしている(本当に主観でしかないが)。
僕の話にいつも「んだってか?」と相槌を打ってくれた「小又の里」の利用者さん達。
そして晩秋の作業場の窓から見えた紅葉と落ち葉の風景。
不思議な縁で導かれたこの美しい秋田の山間の施設に、僕はきっとまた戻ってくると思ってるんだ