活動日誌

居辛さの懺悔

2018.9.7

佐藤悠

自身の所感としては、これまでTURNには、近づけない、あまり近づきたくないような気持ちがあって、そんな中で、今回TURNフェス4への参加のお話いただき、打ち合わせをする中で、これなら自分でも向き合うことができるかもと思える方法が生まれ、『お話を聞きます』をとにかく実行してみました。フェス4での自分の企画を通して77人の方と3日間お話しして見えてきたのは、なぜ自分がそう感じていたのかという経緯でした。

それは、「TURNフェスの居辛さ」を自分はずっと感じていたんだなと言うことでした。フェスの会場にはコミュニケーションが、しかも特にポシティブなコミュニケーションが過剰なほど蔓延していて、もちろんそのコミュニケーションの中に入ってしまえば楽しい、心地よいのだろうれど、どこかでそれができない自分のネガティブさ気づいてしまい、いま一歩踏み出せない。そうなると、会場はとてつもなく居辛い場所になってしまい、居心地がとても悪いのです。目に見えてコミュニケーションが求められる、ある関わりが想定される場所で、そう振る舞えない自分に嫌悪感を感じるのです。

もちろん知り合いがいれば話そうともしますが、そうやって自分が会場で知り合いと話している姿を想像すると、また何か気持ち悪いのです。特にそれを誰か他人にみられたときのことを考えると、そのだれか他人のコミュニケーション=自分より勇気を持った積極的なコミュニケーションを、こちらの居辛さを紛らわせるための他愛ない世間話で阻害してしまう可能性も考えたりして、ますますそういったことはできなくなります。でも、周りの方々の多くはとても楽しそうにコミュニケーションをとっていて、それがまた一層自分を惨めに感じさせるのです。

多様性が謳われているようにみえてしまう会場で、自分の居場所がないように思えたときほど辛いものはありません。これは根明(ネアカ)の多様性であって、ここに根暗(ネクラ)の居場所はないのだと、会場でも、打ち上げでも思いました。いや、まあ、求められれば根明に振る舞う程度の器用さは持ち合わせていますが、そういう時ほど余計辛いですよね。

そんな感じなので、今回は企画において大げさな「盾」を用意してもらって、ようやくあの場所に向き合うことができました。本当に自分が得なこと以外に何もないような企画にも感じていましたが、実際話してみると、上記のようなところまで煮詰まっているような人はさすがに居ないようでしたが、少なからず自分と同じような「居辛さ」を感じている方はいるのだと感じました。

で、来場者と話す中で、あの会場にコミュニケーションからの避難場所があるといいのになと考え、さらには、会場内でコミュニケーションの濃度に差をつけ、グラデーションのように密度に変化がありながら、一周の環のようになっていれば、僕みたいなモチベーションの人も居場所が作れるのではないかと想像していました。

ある場所ではこの前のフェス4のような、コミュニケーション過多(さらに濃密なゾーンがあっても良いかも)があり、ある場所では盾で守られたような、場の傍観者のように振る舞えるゾーンがあって、干渉されない関わり方ができる。で、その2つを両極にして、緩やかにコミュニケーションが段階的に濃くなってゆく、もしくは薄くなってゆくゾーンが接続されてゆく作りになっていて、出入り口から進むに沿って、コミュニケーションの濃度が変化していく会場なら、自分の居られる可能性ももう少し広がるのではないかなと感じました。あと、これは余談ですが、最終日は20分程度長く会話をすることが増えたのですが、話せば話すほど、板一枚隔てた相手の存在を遠くに感じるようになって、不思議な感覚を得ました。普段から、コミュニケーションをベースに活動を行なっていて、その根本には、話せば話すほど伝わらない、よくわからなくなる、結局話しても、コミュニケーションはとれないという思いをおきつつ、でも、それでも伝えたいから、伝えることを試みると言う態度を取っていて、まさにイメージ通りの感覚を得たなと思いました。壁一枚向こうに相手がいるという構造は、通話のはじめは僕だけが知っていて、通話の間に相手も知ってゆくことが多く、中にはどこか知らない場所に電話がつながっているように最初は感じていて驚かれる方もいました。でも、僕は構造は最初から理解しているはずなのに、コミュニケーションの時間が長くなるほど、相手がどこにいるのかよく分からなくなるという、逆の感覚になって行って、そこがとても興味深くもあり、コミュニケーションとほまさにこれだと思う経験を得ました。

あと、この企画は当初から、来場者の懺悔室的なイメージがありましたが、実施していて気づいたら、上記に書いたようなことを自分が相手に懺悔していることが多かったなと思い、僕のための懺悔室だったんだなと終わって改めて感じました。