TURNプロジェクトと出会い、福祉施設との交流を通じ、自らの常識や価値観をTURNさせながら辿り着いたアフリカ。
そして2018年のTURNフェス4にて、アフリカ滞在中に訪れたいくつかの福祉施設の写真を展示させてもらう機会を得た。
今回、改めてアフリカでのカルチャーダイブを振り返り、ルワンダで出会ったある施設の物語を読み返してみたい。
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しばらく滞在していたルワンダの首都、キガリを出て北西へ向かうことになった。
仲の良い友人が彼の実家があるという村へ招待してくれたのだ。
乗り合いバスに揺られて2時間ほど行くと、ムサンゼというルワンダ第二の町に到着した。
ルワンダで二番目に大きいといっても、その友人の言葉を借りると「キガリに比べたら村のよう」にこじんまりとした所で、やたらに混雑しているバスターミナルが無ければ、本当にここがキガリに次ぐ経済地域だとは気づかない人も多いだろう。
そこから友人の村へ向かう途中、大きなゴリラの置物が人目を引く変わったギフトショップを見かけた。
もしかしたら素敵なポストカードがあるかもしれないと思い(キガリではいかにも観光客用といった感じのカードしか見つけられなかった)、友人を伴って寄ってみた。
入り口では二人の女性が何かを作っていたのだが、よく見ると一人はブラインドの方で、もう一人は足が不自由な方だった。
彼女たちの作業を見守っている女性に話を聞くと、週に一度ここで体の不自由な人のためのワークショップを行っているという。
実はこのギフトショップは、Arts & Craftsのビジネスをしているオーナーが障害を抱えた人たちを積極的に受け入れている就労訓練学校を運営するために経営している、いわば学校のレセプションでもあった。
就労訓練だけでなくアートも教えていると聞いて、ぜひ学校を見学したいと伝えると、その日は週末で学校も休みだということで、平日に改めてお邪魔させてもらうことになった。
平日に訪れたその学校は、かつて日本のNGOがルワンダ政府と協力してホームレスやストリートチルドレンの就労訓練所として使っていた建物が放置されていたものを再利用されていて、オーナーが自費で賃貸しているということだった。
その日はミシンを使ったトレーニングや伝統工芸品のワークショップが行われていて、それから一人、片足の不自由な男性がイーゼルに向かって絵を描いていた。
聞くと、この男性は3ヶ月前からこの学校に通って絵を習っているという。
もともとは機械工として働いているが、政府の支援により障害を持った人はこの学校で無償でアートを学べるという制度があり、6ヶ月間のプログラムで通っているそうだ。
それまで絵を描いたことも習ったこともなかったという彼は、今では絵の題材を何にしようか想像力を働かせることも増えてきたと話してくれた。
当日は象の絵を描いていたが、見ていても軽やかな筆使いでとても3ヶ月前に初めて絵筆を取った人とは思えなかった。
動物がいちばん好きな題材らしい。
ムサンゼには火山と美しい湖があり、野生のゴリラを見られる国立公園も近いことから、観光客がよく訪れる場所となっている。
その土地柄、ゴリラや他の野生動物の絵を観た観光客が実際にその動物たちを見てみたいと思うことも考えられ、ムサンゼで絵を描いて色々な場所で飾ってもらえることは自分にも自分の家族やコミュニティにとっても意味のあることだと彼は言っていた。
もう一人、知的障害を持った女性が工芸品作りを学んでいたが、他の障害を持たない女性たちに混じって熱心に作業に取り組んでいた。
その日の去り際に彼女だけが“See you,” と英語で挨拶をしてくれたのだが、その時の彼女のチャーミングな表情が忘れられない。
最後の訪問日、学校には10名を超える障害を持った人たちが来ていた。
前回話を聞かせてくれた足の不自由な男性もみんなと一緒に先生が描いた絵を参考にしながら象の水彩画を描いていた。
ここで絵画を教えているのはいつも穏やかな笑みをたたえているヴィンセントさんという男性だ。
3ヶ月前からこの学校で教えている彼も身内に障害を持った人が何人かいて、ルワンダでは障害者が当然のように物乞いになっていくしかない状況を見て歯がゆかったという。
アートにはその流れを断ち切り、障害を抱えた人たちが自立して生きていける環境を生み出すような、社会を変える力があると信じている。
彼自身がアーティストとしての道を志したのは、10歳の頃に学校で彼一人が自然と上手に絵を描けていたからと話してくれた。
それ以降ずっと絵を描き続けてきたヴィンゼントさんに、ルワンダでアーティストとして生きることの難しさを聴いたところ、
「難し過ぎることもないし、楽過ぎることもない。フェアだと思う」と答えた。
教師としては、生徒たちが彼の教えと知識を吸収して日々進歩していくのを見ることが何よりも大きな経験だという。
この学校のオーナーであるボナレンティーネさんにとっても、かつてのジェノサイドで身体に障害を負った人たちが日々物乞いをする姿を見て、なんとか彼らの力になりたいと強く思ったことが、この場所を立ち上げるきっかけであった。
風習のように繰り返されてきた人々のメンタリティを変えることは簡単ではない。
身体に障害を持った時点で、その人の頭に思い浮かぶ生き方が物乞いという道しかないと社会全体で思われていたものが、今ボナレンティーネさんを始めとした有志の人々によって少しづつ変わろうとしているのかもしれない。
その道のりは長く厳しいものであることは、この学校の未来を語るボナレンティーネさんの厳しい表情を見ていても伝わってくる。
でも彼は会話の最後をこう言って締めくくった。
「始めたからには途中で止められないから。」
学校の皆さんとお別れの挨拶をしていると、絵を描いているグループの一番先頭で車椅子に座って下書きをしていた男性が僕を呼び止めてこう言った。
「ねぇ、俺のこの絵を買ってくれないかな?」
僕は少し微笑んでこう言った。
「もっと上達したらね。」
彼は「そっか、わかった。」と言って視線をイーゼルに戻した。
伝統工芸品作りを学んでいる女性のグループの前を通った時に、前日に英語で挨拶をしてくれた女性が、
「あなたをとても愛してる、恋人にして。」
とはにかみながら言ってくれた。
答えに困ったけれど、こう返すしかないと思った。
「僕も愛してるよ!」
彼女はそれには何も答えなかったが、彼女との最後の会話がさようならの挨拶じゃなくて良かったと僕は思ってるんだ。
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