活動日誌

<この1年で見たこと考えたこと>

2019.6.15

伊勢克也アーティスト

俳句と唱歌と編み物 / 恐るべき絵手紙 / 100歳おめでとう!/ 赤ちゃんボランティア…

TURNというプロジェクトに関わり始めたのが2017年。西荻窪にある認定NPO法人「ももの会」が運営している高齢者在宅サービスセンター「桃三ふれあいの家」での交流が僕に任されたミッション。
この施設は杉並区立桃井第三小学校校舎のかつて理科室であった空きスペースを利用して開設されている。西荻窪の駅から向かうと桃三小学校の正門を通り過ぎて50メートル程行ったところ校地の終わりかけたところにある。そこだけ空気がちょっと違う。
毎回だいたい午後1時頃伺うのだが、入口を入ってすぐに事務所があり、挨拶をして名札をもらう。それからまずうがいと手洗いを済ませ、ひとまず施設内をひと周り。ご挨拶がてら、その日の利用者の方々の顔ぶれを確認、もちろん施設のスタッフにも挨拶。その後、その日準備されているプログラムに参加する。実はこの1年ですっかりハマってしまったプログラムがある。俳句ともうひとつ、手芸の編み物である。

俳句はグラフィックデザイナーの故佐藤晃一氏の主催する句会に遊び半分で参加していたこともあって仲間に入れてもらった。全く世代の違う方々の使う言葉と言い回しに直ぐに魅了され、作られた俳句から見えてくる作者の時すらも越えた視点や、眼差しの繊細さや大胆さにすっかりやられてしまった。
一方の編み物なのだが、これは興味を持っていたのだが、なかなか手を出すチャンスがなかったもののひとつで。全くの素人なのに無謀にも参加させてもらい、結局利用者の方やスタッフも巻き込んで一から教えてもらった。毛糸一本で輪を作ったり、絡めたり、捻ったりすることで立体物が出来上がるトポロジー的な面白さ、そしていつまでも終わりの来ないような作業に完全に取り憑かれてしまった。手芸の無い日も毛糸と編み針を持ち込み、空いている時間に誰か見つけては、手取り足取り教えてもらい、ほどいては編み直しを繰り返し、なんとか帽子のようなものは作ることができるようになった。今はレース編みに挑戦中。( が、この常習性は危ない、ヤバイものに手を出してしまったと後悔も )
というわけで多くあるプログラムの中で、自ずとこのふたつをメインに僕の交流のスケジュールが組み立てられている。1時間半から2時間ほどのプログラムを終えると、クールダウンしつつ日替わりの美味しい手作りおやつとお茶をいただく、それから送迎の車の順番待ちの間に体操をしたり、ゲームをしたり、唄を歌ったり。4時半頃には皆さんの見送りを終えて、すっかりリフレッシュして。事務所に「あー楽しかった、また来まーす」って、ただの利用者じゃん。
 

今はまあすっかりとケアされる身になってしまっている僕なのだが、通い始めの頃は、初めての場所でもあり、場の雰囲気や、人々の距離のとり方、暗黙の決まり事みたいなものを手探りで探っていた。そんな最初の頃にふと感じて印象的なことは 「なんかこの場所は重力のはたらき方が違うなあ」ということ、そして映画『崖の上のポニョ』の老人ホームのシーンがオーバーラップした。そんなまだ微妙な夢のような感覚で所在無く関わっていた。
ところが、ここはとてもリアルな現実を扱っている場所だった。高齢の方を相手にしているので、当然のことながら注意しなければいけない事は多い。一日30数人前後の方が利用しているのだろうか、足腰の弱った方、ちょっと耳が遠くなった方、持病をもっている方も多い、それもひとりひとりその組み合わせは違う。性格や個性、そしてこれまで生きてきた長い時間のあり方も違う。その上、曜日によっても利用者が違うのだ。
そんな毎日を支えているのが施設のスタッフだ。見ていると、実務だけでも、昼食やおやつなどの食事、日替わりのプログラムの準備やその間のフォロー、合間に行われる麦茶によるこまめな給水、送迎の車を待つ間のケア、最後の見送りまで休みなく動き回わっている。そして送迎車の運転も。そんな実務の間に利用者それぞれに対して配られる配慮もまた細やかだ。調理担当のスタッフも空いている時間は小まめに利用者に気を配っている。
毎回そんなスタッフの様子を目にして、施設長さんの話を聞いたりしているうちに、ここにいるスタッフの動きや気配りの全てが、ここの場で交流するために身に付けなければいけない所作なのだということに気がついた。声は大きくはっきりと。目線を合わせるために時には姿勢を低く。立ち上がって移動しようとする方を見落とさないように、見つけたら声をかけてアシストに入る。細かく声をかけて会話をして話を聴く、等々。
そしてまた、利用者にとってはリアルに生きる今を感じる場所でもある。普段の生活とは違って、コミュニケーションを楽しむ場所であり、少し着飾って参加するハレの時間であった。
このふたつのリアリティは身体という物理的なことに関わる生と、人間としての生と考えてもいいのだろうか。脳も含めて内臓であるから思考することも含めて身体的な衰えや老いと、人間としての生は違うものなのかな。「桃三ふれあいの家」で行われている事は、物理的/身体的な衰えのバックアップと、人間としての生を実感するための手助けのようなものなのかもしれない。
人間が老いていく事と、私という生を終えるという事は、最初に思ったほど単純なものではないようだ。身体は地球をめがけて衰えていく。でも人間としての生はあるところまでリアルであることは確認できていて、それは激しかったり、淡々とあったり、飄々と漂うようであったりする。人間としての生は、そういうものであるような気がする。

俳句 言葉 景 

句作を一緒に楽しむことで、僕の持っているものとは違う言葉に接することができる。その思いも寄らない組み合わせで、はっとするような景が鮮やかに目の前に現れる。俳句は映像だな。17音で作者の体験した映像を観ることができる。それはほんの一瞬のことであったり、1日の時間の流れであったり、抽象的な時空の出来事であったりする。3句の連作で一本のロードムービーを観るような気分にさせていただいたこともあった。

 桃三ふれあいの家 俳句教室 炭団選
 秋彼岸 久しぶりです 手を合わせ
 手をつなぎ 夢色咲かす さくら草
 ぶらんこや 子らと競った 空近く
 冬陽さす 書斎香たき 夫偲ぶ
 波の穂に 沈む佐渡より 鰤起こし
 子の喉を おもひ花梨の 実を煮たる
 月光を 独り占めする 良夜かな
 柿を見て 父の笑顔を 思い出す
 蓮華田も 鋤きおはりけり 水ひかる
 マネキンの ウエスト細る 夏は来ぬ
 芥子坊主 コクリコクリと 陽が落る
 日ざし受け 芝桜道 子とはしゃぐ
 遂に来た 賽の河原に 鯉のぼり
 野草園 メダカはぢっと 空を見て
 もののけも うかれいずるか 夜の藤
 花芭蕉 甘味処と 斜にしるす
 おでん屋の 香りしみたる 暖簾かな
 夜桜や 美少年てふ 肥後の酒
 輪になりて 鬼も通るか 春の宵
 老桜の 年に一度の 自己主張
 すれちがふ 空似の人や 花朧
 花の下 鬼の踊りに 拍手あり
 白足袋に 緒の跡残る 花疲れ
 幼な子と あそぶ赤鬼 春のうた
 京菓子の 色も弥生の 頃となる
 蓮の花 佛御座すか 根に宝
 更衣 あれこれ迷う 赤鬼の
 冷酒や 軍歌はいつも 胸にあり
 母の本 押し花もろく 色を変え
 とんぼうや 拝殿前を 風のごと
 夜半の秋 友の筆跡 なつかしき 

この一年で参加した俳句教室の皆さんによってつくられた句の中から不肖ながら選句させていただきました。「炭団」は僕の俳号。
いかがですか?ヤバいですよね。作者は60〜100歳代、どんな時間を重ねていらした方なのか一句一句想像してみると面白い。
かなり遊ばれた粋人とおぼしき方がいらっしゃる。ちょっと話を伺ったところ、俳句もかなり嗜んだらしく結社にも所属していた、かつて職場で俳句禁止令が出るほど盛んだった頃があったとのこと。
「鬼」「赤鬼」が必ず登場する作者。今ではすぐにその方と分かってしまうが、最初目にした時は、完全にその世界に持っていかれた。そして今は、季節季節に現れる鬼を楽しみにしている。鬼はいるね。
そういえば俳句教室でいつも楽しく遊んでくれる市川八重子さん。この方は國學院久我山高校で教鞭を執っていらっしゃったという才女。旦那さんは長野県の高遠に住んで陶芸をなさっている。俳句教室には旦那さんも高遠から参加し、八重子さんが毎回書きとめて投句される。仲の良い別居夫婦。長年の教員生活なので教え子も多く、そんな教え子の一人にちなんだ話を聞かせてくれた。それも「桃三ふれあいの家」がある桃井第三小学校の話。
太平洋戦争末期昭和19年に、当時の東京都桃井第三国民学校で学んでいた児童は宮城県の登米郡登米町に学童疎開をした。現在の登米市に、当時桃三小の生徒達の、身の回り(食事、洗濯などなど)の世話をしたNさんという方が、昨年10月逝去なさったので、そのお墓参りに行く計画(20人位で)。当時世話になった生徒達は昨年までは、毎年2~3人で訪問していたと聞く。併せて当時の資料を見学予定とのこと。僕は岩手県の出身、登米市にも知り合いがいるので興味深くお話を伺った。それも桃三の子供達が登米へ学童疎開とは驚いた。
利用者のほとんどの方が戦争経験者である。おしゃべりをしていると戦争の話に寄り道をする方が多いが、大体の場合あまり多くは語られない。でも、時々何かスイッチが入って止まらなくなることがある。話は時間を越えて年を越えて、場所や空間も越えてとりとめもなく続く。生きてきた時間はそんなに整然とストックされてはいない。雑然と放り込まれた記憶の箱の中で事実も印象もその時の感情もごっちゃになっている。何かのきっかけで引っかかった事象がごちゃごちゃのまま芋づる式に引き出されて来る。
そうだ、市川さんの話だった。
市川八重子さんは戦時中旧満州に渡り、終戦後大変な思いをして引き上げてきた経験をされている。その体験を歌ったものもまとめた歌集『高遠』を去年出版された。
今まで語ることができなかったことを、どうして今この時代に歌集にまとめ出版したのか伺ってみた。ただ短歌の先生にしつこく勧められたからという話だったが、出版して市川さん自身はスッキリしたという。経験や記憶は今を生きている私が常に関わっている。人生のどの時点で、どんなシチュエーションで、どのように表出したかみたいなことも含めて経験や記憶の記録になるような。話したりすることで全て今や未来に向かっているんだ。
僕の親父は心不全で急死したんだけど、部屋には終戦直前に志願して入隊した軍隊時代の写真と、それまで一度も見たことがなかった入隊時に送られた寄せ書きの書かれた絹の日の丸が置いてあった。生きていたら利用者の方々と同年代。

編み物

皆さんに手取り足取り教えてもらい、何度も編み直して覚えた編み物は、今では僕の作品のひとつの表現方法となりつつあるほど夢中。実は3月に開催した個展で発表した。次は編み物をメインにし作品を中心にという企みも。

絡まった毛糸のハプニング。3人がかりで長い毛糸の絡まりを元に戻す。毛糸面白い!
チョー可愛い♡

仲良しちゃんの94歳の誕生日プレゼントに早速帽子を編んだのだが、間に合わず耳あてとなる。可愛い。

見よ!絵手紙の破壊力!!

施設に遊びに来るようになって、いつも壁に貼ってある絵手紙はなんとなく眺めていた。来る度に新しい作品に変わっているので、毎回なんとなく眺めていた。プログラムにも参加してみた。実は僕は絵手紙を、あの、実はですね、全く評価してなかったのです。友人のデザイナーが「母ちゃんがなんか絵手紙送ってくるようになっちゃって困ってるんだよね」とういうこともあったりして、本当に申し訳ないのだがジャンルとしては趣味でやる紙人形やちぎり絵みたいなものと同じフォルダ内に入れ、関わらないようにしていたのです。
しかし、目にする度に変わる作品に、あれーーえ、で、スマフォでパシャ。で、どんどん引き込まれていき。これボディブローのように効いてきてまず膝にきます。そしてついに、玄関を入ったら挨拶して手洗ってうがいして、すぐに絵手紙を凝視し身体の震えを止めるという絵手紙中毒者になってしまったのだ。
絵手紙というメディアは意外と新しく1970年代後半に始まったとのこと。いやー、この破壊力はとんでもない。是非タモリ倶楽部でコーナー作って欲しい。

唱歌

音楽に関するプログラムも多く用意されていて人気がある。洋楽、邦楽、合唱、歌謡曲、いろいろな音楽プログラムが日替わりで行われている。アルツハイマーに音楽が有効だと言われている。パーソナル・ソングという映画も数年前に上映された。あるシーンで耳に入ってきた音楽はそのシーンと一緒に記憶されて、その時の音楽はそのシーンで体験した出来事を根こそぎ引っ張り出すスイッチになるのかも。

書道や絵手紙の日は、つまらなそうな顔をして「書きたくない」とか言って拗ねてる方がいる。でも、音楽や唱歌の日はとても楽しそう。聞くところによると、永田町小学校に通っていた子供の頃は東京子供唱歌隊の一員だったという。身体に染み付くものとしては踊りもそうだ。日本舞踊の所作や馴染み込んだ身体が、音を聴くと動き出す。

合唱はみなさん好きみたいだ。プログラム以外でも送迎のバスを待つ時間に歌詞カードを配って一緒に歌ったりする。これには僕も良く参加するのだが、めちゃくちゃ楽しい。みなさん歌好きだね。歌声喫茶世代も多いのでなるほどだ。ある日送迎バス待ちでなんと40分以上歌い続けたことがあったのだが、その夜になんと腹筋が引きつったのだ。意外とタフ。

100歳おめでとう
飄々とした風情。淡々とただ淡々とね。粋だね。カッコいいよ。

生後6ヶ月のボランティア

赤ちゃんボランティアのましろちゃん。生後6ヶ月のボランティアだ。
周りは平均生後1,000ヶ月、生後1,200ヶ月超えも。ましろちゃんに負けずに可愛いよ。それにしても、ましろちゃんの1ヶ月の成長の早さよ。生の爆発だな。

TURN フェス サトちゃん

TURNフェスでの岡本智美さんとの「共生するアトリエ」は楽しかった。ドローイングには沢山の人が興味を持って参加してくれた。サトちゃんと参加者とモデルの大久保由美ちゃんとやりとりをしながらポーズを決めたり、ポーズの名前を決めたり、「きょうされんリサイクル洗びんセンター」の山崎さんや黒澤さんもドローイングに参加してくれて、皆で共有できた時間は忘れられない。サトちゃんがその時制作した彫刻「運びたい」は、国立新美術館で開催された2019年太平洋展で会員作品として展示された。

サトちゃんは時々フッと消えてしまう。フェスの会場を気ままにウォーキングしているのだ。ウォーキングはサトちゃんにとってはとても大切な時間だ。自分の世界に自分だけで居る時間、足の向くまま気の向くまま誰にも束縛されずに世界を見回る時間、そして美容と健康のため。
そんなサトちゃんがTURNフェス最終日に素晴らしいハプニングを観せてくれた。「しっちょいさ」の踊りの輪にサトちゃんも参加。会場は踊りが終わり、その後の富塚絵美・マリー・島田明日香×新人Hソケリッサ!×大久保由美×大西健太郎によるパフォーマンスの舞台へと様子を変える。サトちゃんは、踊りの輪のリズムそのままウォーキングを続けている。そのうちアドリブで繰り広げられるパフォーマンスの動きにシンクロして歩く輪の大きも変わっていく、少しリズムも変化しながら徐々に全てのパフォーマンスが一体となっていった。
最後、全ての動きが止まる。サトちゃんだけが一定のリズムを繰り返し歩き続ける。
このハプニングはその場に立ち会えて良かったと思わせる種類の出来事だ。その時永遠の過ぎていく時間と「無」を思った。凄かった、久しぶりに涙が出た。

僕にとってサトちゃんのウォーキングを眺めている時間は特別な時間だ。何も無い時間かな。歩いているのに全く人為的なコントロールが働いていない人の行動で立ち現れる何も無い時間。でも一定のリズムは刻まれている、サトちゃんの表情は時によって違う、何か独り言をつぶやいている事もある。「永遠」とか「無」っていう言葉が浮んでくる。
今、ふと思い出したのだが、以前、ろう者のイベントで体験した事。話題が盛り上がって手話でのやりとりが激しくなった時に、全く人為的では無い呼吸の音とか、口を動かす音とか、唇の音、着ている服が擦れる音とかだけが聞こえる場で強烈に感じた「無音」の世界。人間の行動なのに人為的ではないことで現れる何も無い感じ。

TURNの活動として交流を続けてきたが、実はアートのことなど全く考えていない。社会の多様性を巡る問題の解決に向けてアートのあるコンテンツは確かに有効である。でも、アートと大ぐくりで言われてしまうと、それはアート自体の多様性を否定してはいないかな。僕は僕の中の社会の中の人間として関わっている。人間個人の中にもさまざまな様態を持っている。アーティストとしての自分、日本人としての自分、人間としての自分、父親としての自分、、。人間個人のアイデンティティーも内部に多様性を持っていることを認めないとね。障害を持つ人や、社会的マイノリティーといわれる世界にいる人は、同時に社会内人であって、女性/男性であって、人間であって、どこかの国に住む人であって、、、 なんかそんなこともね、強く思ったね。そして、さまざまな多様性を認める社会でなければ、アートなんか存在できない。僕らは日本の中でマイノリティーである。現在、アートは別に社会に認められ受け入れられているわけでは無い。TURNが交流している全ての人達と変わらないのではないかな。