[特別寄稿「外から見るTURN」Vol.2] であっTURN、まわっTURN、くるくるTURN

マリー/Sasa

聴覚に障害を持ち、TURNの参加者からパフォーマーとして深く関わるにまで至ったマリーさんが語る、TURNという場所の価値とは…。
<「TURN JOURNAL 2018(2019年3月発行)」より>

TURNフェス4 初日のスペシャルライブで 「ピジョツピジョツピあー」を 奏 でる、 クラリネット奏者の島田明日香(左)とマリー(撮影:冨田了平)

初めてTURN

初めてTURNした日。アーツ千代田3331のROOM302で、文化プログラムやサッカー、ブラジルや「交流」の話を、手話通訳をとおして見ながら(聞きながら)、私はずっとTURNって、一体なんなのだ?とぐるぐるしていました。そして、「ぐるぐる」できるだけの情報を手にしていることが、たまらなく嬉しく、ニヤニヤしていました。
2016年6月のトークイベント「私があなたにTURNする7日間」。そのときのTURNには、まだ手話通訳や文字支援という情報保障はなく、どうしても登壇者のお話が聞きたかった私は、思い切って「手話通訳をお願いしたいのですが…」とメールを送りました。それがTURNとの最初の接点でした。
紆余曲折あって、一度は、ダメかも…と諦めかけたイベントでしたが、最終的に手話通訳を配置していただけることになって、大変ありがたい、濃い時間を過ごすことができました。
そのとき、日比野さんが「ロンドンのUnlimited※はリミットがあるという発想から来ている。TURNは、リミット(限界)という考え方ではなく、むしろ一人ひとりの『違いを超えること』に目を向けたい」と答えてくれたとき、私は一緒にぐるぐるしたいと思ったのです。それからTURNの展示や、TURNミーティングを覗いたりする中で、TURNフェス3、4では富塚絵美(ちょり)さんと一緒にパフォーマーとして参加する機会もいただきました。

TURNを見る

私は聴覚障害者です。普段は補聴器を使っていますが、補聴器を外すと、自分の声もわかりません。
聴覚障害は、外から見ることのできない障害の一つです。「見えない障害」ということは、自分にとっても他の人との違いがわかりにくく、言葉にして説明することがとても難しいということでもあります。
一人ひとり異なる聞こえなさを抱えており、私でない「あなた」が「私」になれば、この聞こえなさがどれほどのものか、きっとわかってもらえるだろうに、それが叶わないもどかしさ、困惑と常に隣り合わせです。
出会った頃のTURNやTURNinBRAZILでは、聞こえない人たちがそこで「今まさに起きていること」を知ることができる環境は正直十分ではありませんでした。トークに手話通訳はありましたが、流れている映像に字幕はなく、説明を受けながら体験するコーナーでは見てわかる説明がなかったために何をどうすればいいのかわからず、「ただすごいなー」と思って通り過ぎるだけの展示もありました。
大きな変化があったのが2017年のTURNフェス3、TURNミーティングから。手話通訳、文字通訳が常に配置されるようになり、聞こえない友達にも、ぜひ行ってみて!と気軽にお勧めできるようになりました。普段、美術館やアート関連のイベントでは、聞こえる人たちは次々に音声ガイドというラジオのような機材を借りて、いわゆる「作品解説」を受けながら鑑賞することができます。聞こえない人、特に一人で鑑賞したい人は、事前に予習していくか、当日パンフレットを見るか、どうしても、独りよがりの解釈になってしまいます。
「音声ガイドというものが実は結構面白いらしい」と知ったのは、TURNではありませんが、日比野さんの解説が文字起こしされていた、岐阜のメディアコスモスのイベントでのことでした。数枚の紙の上で日比野さんの独特の言葉の選び方、言い回しがそのまま文字になっていました。一人では得られない、違う視点からの作品の味わい方の手がかりがあるという、新鮮な体験は、作品鑑賞の時間をより濃密にしてくれました。こうした機会は、どこででも誰にでも用意されているものであってほしいと思います。
2018年のTURNフェス4は、ぐっと成長して、多様な「違い」を切り取ることのできるフェスでした。さまざまなガイドツアーが開催され、多言語、障害当事者、家族、支援者それぞれのナビゲーターによる「多言語」「聞く」「見る」「車椅子」「妹のわりきれなさ」などをテーマにしたツアーが目の前をぐるぐる回っていくのを見ているのは感慨深いものがありました。
例えば「折形/ORIKATA」「コッパーランド」のコーナーでは、「ここで今、何をすればいいのか」が文字で書かれていて、聞こえない人だけでなく、人と話すのが少し苦手な人でも、自分のペースで体験することができるようになっていて、誰かに説明を求める必要もなく、楽しい体験ができました。

私のTURN

この2年間は、私自身がTURNした時間でもありました。私は自作の詩などを手話で朗読をする“サインポエット”として、時々ライブをしていますが、震災を経て、それから仕事や諸々の環境の変化に追われて、「表現する」ことと向き合う時間を見失っている時期が続いていました。
2017年から、ちょりさん始め、多くのアーティストの方と触れ合い、引き寄せられるようにその後のライブの舞台となる「空間」との出会いもありました。まるで抑えられていたものが迸るように、次の2018年はフェスで知り合った、新人Hソケリッサ!の皆さんとともに、聞こえる聞こえないという違いを超えて楽しむことのできる、インクルーシブな詩の朗読と音楽、ダンスの即興ライブパフォーマンスイベントを年に2回主催する、という激動の1年を過ごしました。その原動力はTURNによってもたらされたと言って違いありません。
その2018年のTURNフェス4は、衝撃の時間になりました。普段「手話」と「身体」による表現をしている私が、初めて自分の「声」を「表現する素材」として捉え直したのです。補聴器を外してパフォーマンスしている間、一体自分の声がどういう大きさで発せられ、どんな風景になっているのかも全くわかりません。まさにピッジョッピジョッピ日常非常日。ちょりさんが好きと言って素材として使ってくれる声、しかし、自分にとっては未知の声。掴みどころのない、怖いチャレンジでもありました。
一方で、「聞こえていない」ということは、この世界の、地球の空気を震わせているさまざまな音が、音の形をして届いてこないにしても、「何かが欠けている」ということではない、と私は常々思っています。音楽の伝え方、感じ方は耳から「聴く」だけだけではないのです。触れるもの、響くもの、見るもの、そしておそらく香りや、味によってでも、「五感の音楽」として、私たちはいつでも音楽をそれぞれの感じ方で伝えたり、受けとったりすることができる。TURNは、それらも思いも全て受け止めてくれました。
そこで、私は今、「聞こえない私にとっての『声』」の響きを探ることにとりかかっています。2年前まで決して好きではなく、表現の手段としては完全に対象外であった自分の声と向き合うことにしたのです。
TURNと過ごす時間は、新たな発見と出会い、自分自身のTURNの繰り返しでもあります。

これからのTURN

2018年12月、TURNLANDの一つ、小茂根福祉園で大西健太郎さんの『「お」ダンス』ワークショップに参加しました。『「お」ダンス』は初めて会った人との「手の会話」がとても気持ちよく、「五感の音楽」につながる要素がたくさんあります。「おダンサー」(「手の会話」をするふたりの周りで「お」と掛け声をする人たち)が手話の指文字「お」で掛け声をしてくれるので、安心して「手の会話」を続けることができ、何回でも参加したくなる場でした。
「安心して参加できる」というのは、実はとても大きな一歩につながるものであり、大切なことなのですが、TURNはそれを何気なく実現できるようになっているな、と思います。
2年前に比べたら、どんどんひらかれた場になってきているTURN。これからも、誰もが安心して心をひらき、出会い、TURNするきっかけを掴める場所であることを続けていってほしいと思います。
TURNすることがいつもの日常になっているかもしれない未来に向けて。

※第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)の文化プログラム「ロンドン2012カルチュラル・オリンピアード」の一つで、障害のあるアーティストの創造的な活動を支援することを目的に設立された。
 

マリー/Sasa
サイン・ポエット(手話の詩人)。「Read_taste_music」総括。聞こえる世界に育った聞こえないパフォーマーとして、手話や日本語などによる狭間の表現を追求している。2018年ゆるいユニット集団「でんちゅう組」結成。この指とまれ担当。旧平櫛田中邸などで、みて感じてきいて楽しむインクルーシブ・パフォーミングアーツを展開。