[特別寄稿「外から見るTURN」Vol.3] TURNフェスから学んだこと

佐藤慎也

<「TURN JOURNAL 2018(2019年3月発行)」より>
TURNフェスに着目する佐藤慎也さんが考察する「第四世代の美術館」とは…。

TURNのための場

TURNでは、活動のベースとなるTURN交流プログラムが各地で展開されるとともに、それらを一堂に集めるTURNフェスが行われている。参加するアーティストにとって、コミュニティにおける日々の活動と年に一度の公開の場、どちらが本番なのかと問われれば、意見がわかれるところだろう。しかし、TURNのための場を考えるとき、TURN交流プログラムでは、それぞれのコミュニティの場で行われているため、個別の要求の上に設定されている。しかし、TURNフェスでは、それらが一堂に会する共通の場をどのように設定するのか、という問いが成立する。
これまで4回開催されてきたTURNフェスは、いずれも東京都美術館の公募展示室を会場としてきた。東京都美術館の前身である東京府美術館は、日本初の公立美術館として1926年に開館、1943年に名称変更された。1975年に新館へ改築され、3層にもわたる広大な公募展示室がつくられ、2012年の大幅な改修工事によって、現在の姿になった。その際に、公募展示室の床仕上げは、静かな環境の中で鑑賞ができるように、カーペット敷きに変更された。また、壁仕上げには、フックを用いて簡単に絵画を架けられるように、小さな穴の開いた有孔板が使われている。しかし、多くの美術館の展示室では、床仕上げにはフローリングや石のような硬い材料が使われているし、壁仕上げには穴の開いていない白く平滑な材料が使われている。それらの一般的な展示室の仕上げと比較すると、改修後の公募展示室には、非常に「ゆるい」仕上げが採用されている。それらは、視覚的なことが最優先される「もの」としての美術作品の展示にとっては、決して歓迎されるものではなく、多くの市民が発表を行うための場であることから選ばれた、機能的な仕上げである。
TURNフェスは、そんな公募展示室を会場にしてはじまった。3日間限りのフェスティバルであるから、本来ならば、アートセンターやイベント会場などが会場に選ばれ、いわゆる美術館では行われなかっただろう。むしろ、このようなフェスが、緊張感あふれる美術館のホワイトキューブで開催されたならば、見る方も、見せる方も、きっと居心地が悪かった。しかし、その会場に美術館という場を当てはめることは、TURNが現代における美術のひとつのあり方だと考えれば、当然のことである。そう考えたとき、このゆるさを持った展示室が、まさにTURNフェスの会場としてふさわしい場であることに気づかされた。

みんなの楽屋

最初のTURNフェスを見て、そこで繰り広げられていたことに可能性を感じ、アーティストの富塚絵美や学生たちとともに、勉強会をはじめることにした。それは、TURNのための場を考えることを目的としていたが、個人的には、建築に関わる身として、10年近くアートプロジェクトに関わり、さまざまな現場で考えたことを、今後につくられる美術館に返したいという思いもあった。その勉強会の結果、TURNのための場には、「もの」のためではなく、「人と活動」のための空間が必要であることがわかってきた。そして、その成果として、TURNフェス2では、「あわい~(富塚絵美+佐藤慎也研究室)」名義で、《みんなの楽屋》と題した作品を発表した。人が思い思いに過ごすことのできる楽屋を公募展示室内につくり出すために、カーペットの床、有孔板の壁に、さらに紐を用いて「あわい」天井を付け加えた。
「楽屋」という呼び名は、「もの」のためにつくられた展示室に、「人」が長時間滞在するための口実を与えるものでしかない。最終日にパフォーマンスを上演するという設定のもと(実際に上演は行われた)、その準備のための楽屋を展示することとした。TURNフェスを展覧会だと思い、視覚的な作品を見に来た観客は、その楽屋に何を見てよいのかわからないまま通り過ぎていく。あわい天井もまた、通り過ぎる人たちにとっては、特に感知されるべきものではない。しかし、楽屋に滞在して、本番を待つパフォーマーたちは、そこを少しでも居心地のよい場とするために、ものが掛けられる有孔板の壁とフック、そのまま座り込むこともできるカーペットの床を手掛かりに、居場所をつくり出していく。そして、パフォーマーたちが少しでも落ち着いて留まれるように、あわい天井が、巨大な展示室のスケール感を抑えている。そんなTURNフェス2の会期中に、印象的なことがあった。出展者のひとりであるダンサーの森山開次が、この楽屋の隣を会場とするトークのために待機しているとき、美術館の展示室という場に対して戸惑いを見せ、所在無げにしていた。そんな姿を富塚が見て、「ここは楽屋です」と声を掛けたところ、森山は「楽屋であれば、居方がわかる」と、リラックスして富塚たちとストレッチをはじめた。展示室が本物の楽屋となった瞬間であった。

《みんなの楽屋》でストレッチをする森山開次(中)と富塚絵美(右)

第四世代の美術館

《みんなの楽屋》での実験に引き続いて、「第四世代の美術館」ということを考えている。それは、建築家の磯崎新が、美術館を三つの世代にわけて論じていることを延長させて、新しい美術館の可能性を考えるものである。「第一世代の美術館は、一八世紀の末までに成立した、王侯貴族の私的コレクションを公開する目的で設立され」※1たもので、「ルーヴル美術館」をはじめとして、額縁や台座を持った具象的な作品が、有彩色の壁面に展示されている。第二世代は、「美術が内包している想像的空間の質が変化しはじめ、その展示空間もさらには新しい型が要請され(中略)美術作品はその近代主義的視点によって、究極的に平面や立体に還元され、これが均質空間に浮遊する状態をイメージ」※2しており、白い展示壁面を持った、いわゆるホワイトキューブと呼ばれる均質な展示室がつくられる。第三世代は、「生存している芸術家が自らの作品を自由に空間的に設置するような傾向とかかわって(中略)サイト・スペシフィックな作品と呼ばれる(中略)すなわち空間に独特な性格をみなぎらせるような強度が要請されて」※3いる。第一世代が具象的な「もの」、第二世代が抽象的な「もの」、第三世代が場所性を伴った「もの」のための場とまとめられるとすると、芸術祭やアートプロジェクトに見られる美術作品の変化から、第四世代は、アートプロジェクト的またはパフォーマンス的な、「人」が含み込まれた作品という傾向を持つと考えられる。そして、TURNで展開されているような「人」が含み込まれた作品を美術館へ持ち込むためには、「第四世代の美術館」と呼ぶべき場が必要となるだろう。TURNフェスにおける公募展示室の使用、さらに《みんなの楽屋》での実験は、それを考えるための重要な参照事例となる。
「第四世代の美術館」の展示室には、居心地のよさが必要ではないかと考えている。もちろん、展示室を居心地のよい場とするためには、外部につながる窓の設置や、飲食を可能とする規則の変更など、他の要素の検討も必要となるだろう。そこまでいくと、もはや美術館でなくてもよいのではないかと思うかもしれない。しかし、この美術館の変化は、美術の変化が要求するものであり、そんな作品を収集・保管、展示、調査研究することもまた、これからの美術館の役割であるとするならば、そんな可能性もあり得るのではないかと考えている。

※1 磯崎新『造物主議論』(鹿島出版会、1996年)39頁。
※2 同上、41頁。
※3 同上、43頁。

佐藤慎也(さとうしんや)
日本大学理工学部建築学科教授。1968年東京都生まれ。建築に留まらず、アートプロジェクト、演劇作品制作にも参加。「アーツ千代田3331」改修設計(メジロスタジオ共同設計、2010)、「八戸市新美術館」建設アドバイザー・運営検討委員会委員(西澤徹夫建築事務所・タカバンスタジオ設計共同
体設計、2021開館予定)など。