[特別寄稿「外から見るTURN」Vol.1] TURNで見つけたもの

瀬戸口裕子

舞台鑑賞のサポート活動を行うNPO法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク(TA-net)のスタッフとしてTURNのイベント運営に関わる瀬戸口裕子さん。その活動の中で“見つけたもの”とは…。
<「TURN JOURNAL 2018(2019年3月発行)」より>

TURNフェス3 での《光の広場》の様子(撮影:冨田了平)

私にとってのTURN

いつも浮かぶのは「自由」とか「自在」という言葉です。「自由」とは、さまざまな壁や境界に囲まれた不自由な環境の中でも、いつでも自由に創造していく力であり、「自在」とは、それまで経験したことのないことに出会ったとき、自分の感性を拠り所とし、他者との関係性をつくったり、変化させていったり、いつでも無限の可能性を引き出すこと。
そして、それが守られているプロジェクトがTURNだと感じています。
私は何よりもTURNで紡がれていく言葉が好きです。どちらかというと、外側に発信するための言葉というよりも、自分の内側や、目には見えない感覚を探りながら、そこに合う言葉を探しているような、内面から滲み出てくるような言葉が多いと感じます。モヤモヤしていることをじっくり見つめながら、それを言葉にしていくことで新たな視点を見つけていく、言葉によって世界が広がり、それまでとらわれていた呪縛から解かれていくそんな瞬間もあったり、新しい体験をしたときに湧き出た感情や感性に真摯に向き合い、本気で自由に言葉として表現していく、それがTURNの魅力だと感じています。

心地よい新たな関係

TURNとの最初の出会いは、2015年11月8日に開催された第3回東京フォーラム「ONEDAYTURNPARTY」でした。私は、同年に東京都美術館×東京藝術大学の「とびらプロジェクト」のアート・コミュニケータ(とびラー)になり、そこで知り合いになった大政愛さんに誘われたことがきっかけでした。そのときは、TURNがこんなにも大きく広がっていくとは想像もできませんでした。
その4ヶ月後、また運命の巡りあわせか、文化庁の芸術選奨文部科学大臣賞に日比野克彦氏、同賞新人賞にTA-netの代表の廣川麻子氏が選ばれました。TA-netの廣川さんは「みんなで一緒に舞台を楽しみたい!」を合言葉にそれまでほとんど情報保障がつくことのなかった芝居や劇場関係のアクセシビリティの仕組みをつくりました。そこで私も一緒に活動をしていたというご縁もあって、TURNのアクセシビリティはTA-netにつなげ、手話通訳を担当させていただいています。
TURNのアクセシビリティの打合わせでは、奥山理子さんをはじめ、NPO法人Art’sEmbraceのスタッフの皆さん、TA-netの事務局長であり当事者の石川さんと、手話通訳者、文字支援者も一緒に、毎回丁寧に話し合っています。その打合わせの時間さえも、「一人ひとりの異なる全ての人に届く新たな文化体験をつくりだす」大事な瞬間だと感じています。
「耳が聞こえない人」と言っても実にさまざまで、全く聞こえない人から聞こえづらい人、手話を習得している人、いない人、いろいろな人がいます。私自身もこれから老いていくにつれ、確実に耳が聞こえづらくなるだろうし、決して他人事ではなく身近に考えていかなければならないことだと思っています。耳の聞こえない人にとっての「情報保障」というのは、生きるため、社会参加するために絶対に必要なことなのに、現実はまだまだそのことが浸透していません。それが、いつも残念だと思う一方で、実はそのことで心が揺らいだり、迷うときがあるのです。福祉や耳の聞こえない人たちのコミュニティの中では、日常の中でごく当たり前に、「障害者の権利」とか「言語、アイデンティティ、文化、マイノリティ、運動、排除」というような言葉が出てきます。人が平等に生きていく上で「権利」を守ったり主張したりする事はとても大事なことだし、平等な社会は当然だと思っていますが、そんな強い言葉を使わなければならない状況が日常化していることに悲しみを感じることもあるのです。また、時折「情報保障をつけなければ」という思いが強くなりすぎてしまって、それが逆にお互いの自然な関係をつくる上での障害になってしまうときもあるのではないか、とも思うのです。
私は、何か違う方法でお互いに心地よい新たな関係はつくれないのかな、と心の中で探していました。そんなときにTURNに出会え、私には見つけられなかったものを、TURNで見つけてもらえるかもしれない、見つけてほしいと思ったのです。

壁のようなものが、色づく瞬間

忘れられないのは、2017年に富塚絵美(ちょり)さんに声をかけてもらい参加したTURNフェス3の《光の広場》で、私は手話通訳としてではなく作品の一部として登場するという、まさにTURNの中でTURNする大きなきっかけをもらったことです。私はこの作品をつくり上げていくプロセスの中で、大きな変化を経験しました。最初は耳の聞こえないパフォーマーのマリーさんへの手話通訳を主にしていましたが、だんだんと私が手話通訳することが邪魔になっていると感じるようになっていったのです。マリーさん含め出演者たちが、通訳という第三者をとおしてではなく直接対峙して、そこで生まれる、わかりづらさや、もどかしさ、逆に通じたときの喜びなど、もっと生の感覚・感性を感じていきたいと変化したことを感じたのです。「通訳は必要でもあり、邪魔でもある」と悟りました。でも私は「邪魔」と思われることは全く嫌だとは思わず、むしろ嬉しかった。普通であれば、そこで私の役目は終わりなのでしょうが、ちょりさんは、そこから私を新たな一個人として創造してくれたのです。私にとって、あらたな関係が生まれたターニングポイントだったと思います。ちょ
りさんの作品の中では、社会の中で生きづらさを感じている人やその周辺にいる人たちが、溶け合ったり、もみくちゃになって踊ったり遊んだりしながら、お互いの色を知り、一人ひとりの人間として、その人のリアルさを引き出し、そこから生まれてくるものを大切にしながら、お互いの違いに気づき合っていくこと。無理やり理解させようとするのではなく、自然な関係を紡ぐ中で、一人ひとりの人間の「生」の豊かさを表現していく優しさをも強く感じました。結果的には、みんなちょっとずつ違うところもあるけど、そんなに大きな違いはないんだと気づいたり、さらに個々の魅力も発見するという大きな収穫を得ることができました。そして最後には「みんなで一緒に夢を描いていける」ようになり、そこにはもう自分たちの権利を守らなければならないような強い言葉は必要なくなっていました。
TURNフェス4では「日常非常日」(ピッジョッピジョッピ)がテーマでした。
未知の世界と既知の世界、まさに日常と非日常が自由に交差していた空間でした。その「日常非常日」の景色は、新しいはずなのに、何故だかとても懐かしいという感覚にもなりました。私はこれからもTURNの中で、人の心にある壁のようなものが色づく瞬間を見つけていきたいと思います。

 
瀬戸口裕子(せとぐちゆうこ)
手話通訳士、アート・コミュニケータ。NPO法人 TA-net 会員。TURNでは年間のイベントをとおして手話通訳を担当。

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