「TURN in BIENALSUR」展覧会開幕

2017.9.16

MUNTREF会場入り口

アルゼンチン・ブエノスアイレスを中心に、16カ国32都市で展開する第1回国際現代美術ビエンナーレ「BIENALSUR」が開幕しました。
このビエンナーレにTURNも招聘され、「TURN in BIENALSUR」としてプロジェクトを始動。日本、アルゼンチン、ペルーを拠点に活動するアーティスト7人が参加し、伝統的な技術や作法を携え、南米の福祉施設や地域コミュニティに通い「交流プログラム」を実施しました。
そして、交流プロセスを通して生まれた作品を、ブエノスアイレス(アルゼンチン)とリマ(ペルー)で展示とワークショップによって発表します。

主催: 国立トレス・デ・フェブレロ大学 – BIENALSUR
企画協力:東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)

■ アルゼンチン・ブエノスアイレス
会期 : 2017年9月16日(土)〜10月29日(日)
会場 : 国立トレス・デ・フェブレロ大学付属美術館
アーティスト :岩田とも子、永岡大輔、アレハンドラ・ミスライ、イウミ・カタオカ、セバスチャン・カマチョ・ラミレス

■ ペルー・リマ
会期 : 2017年9月25日(月)〜10月29日(日)
会場 :ペルー国立高等芸術学校文化センター
アーティスト : 五十嵐靖晃、ヘンリー・オルティス・タピア

【アーティスト×福祉施設・地域コミュニティ×伝統工芸・技術】
―岩田とも子✕Caminos Foundation✕折形
―永岡大輔✕C.E.N.T.E.S N°3✕和菓子
―アレハンドラ・ミスライ✕Brincar✕ランダ
―イウミ・カタオカ✕AlunCo Foundation International✕絞り
―セバスティアン・カマーチョ・ラミレス✕C.E.N.T.E.S Nº 1✕ チャキーラ
―五十嵐靖晃✕Cerrito Azul✕藍染め、アンデスの織物
―ヘンリー・オルリッツ・タピア✕Educational Institution N °1027 “REPUBLIC OF NICARAGUA”✕ シクラ
※アーティストおよび福祉施設・地域コミュニティの詳細については、「Who」の一覧ページよりご覧ください。

【交流プログラム詳細】

―岩田とも子✕Caminos Foundation✕折形
日本で折形の研修を受けた後、8月中旬よりブエノスアイレスに滞在し、知的障害のある人たちが通う通所施設「Caminos Foundation」に通い交流プログラムをおこないました。日本の伝統的な礼法「折形」の折る・包むという行為を通して、利用者およびスタッフとともに交流及び作品制作をおこないました。

*折形(おりかた)

折形は、白い和紙を折って贈りものを包む、日本の伝統的な礼法。冠婚葬祭など神仏を祀るため、贈りものをするため、またはそれらの儀式に必要なしつらいを行う際に用いられている。身近なところでは「のし紙」や「のし袋」といった気持ちを伝えるための非常に有効な手段として習慣化されているが、古来は、神仏を祀る場での格式ある祭器であり、とても神聖なものであった。そのため折形では、まず折るための環境や自身を清めることからはじまる。折る順序や角度をつける向き等は吉事か凶事かによっても定められており、折る所作にも潔さと贈る相手に対する心遣いが現れている。
また、折形は「祈り」の意味であった「折紙」と発祥を同じとし、古代の神祀りなどの依り代として発生したといわれ、やがて、人々の協力や支えに対して真心を表す様々な美しい形へと変化していった。中に何が入っているのかが分かるようになっているのも折形の特徴であり、中身によって折りの形が変わる。神前や仏前に供えるときの敷物として用いられる「かいしき」も、折形の一種である。

―永岡大輔✕C.E.N.T.E.S N°3×和菓子
日本で和菓子研修を受けた後、8月中旬よりブエノスアイレスに滞在し、発達障害児を中心に3歳から12歳までの子供たちを受け入れている公立の特別支援学校「C.E.N.T.E.S°3」に通い交流プログラムを行いました。日本の伝統的な「和菓子」を作り・食べるというプロセスを学校に通う子供およびスタッフとともに行いました。

*和菓子

和菓子とは、日本独自の発展をとげた伝統的な菓子である。洋菓子と比べて、油脂や香辛料、乳製品を使うことが少なく、米や小麦などの穀類や小豆や大豆などの豆類、および天草などの海草の煮汁を凍結・乾燥させてつくった寒天を主原料とするものが多い。一般的には、日本茶とあわせて食され、日常的な茶請け菓子として親しまれているとともに、日本の伝統である茶道との関係も深い。また年中行事や慶弔事にも用いられる。四季との関わりが深いことも和菓子の特徴の一つで、形や色合い、そして名前の付け方によって季節の到来を感じてもらうための、作り手の気持ちと個性が込められている。長期の戦乱を経て平和が訪れた江戸時代以降、菓子作りに精進することができたことで和菓子文化は一気に発展したとされており、現在食べられている多くの和菓子や、意匠に工夫を凝らした和菓子などは、江戸時代に誕生した。


―アレハンドラ・ミスライ✕Brincar✕ランダ(Randa)

自閉症児者を対象とした造形教室「Brincar」に7月中旬から通い交流プログラムを行いました。子供及びスタッフとともに、アルゼンチンのレース編み「Randa」の糸を通す・結ぶ・編むという行為を通して交流および作品制作を行いました。

*Randa(ランダ)

ランダは、レース製品と呼ばれるものの一部をなす織物。結び目と、繊維を圧縮して大小の網目を作る。ヨーロッパで15世紀よりレース製品の分野において総称的な呼び名となった。
アルゼンチンのトゥクマン、とくにモンテロスという地域にほぼ限定して行われている手工芸。エル・セルカドはモンテロスの集落の一つで、レース編み職人の女性たちが多数在住している。モンテロスで作られているレースは非常に独特で、職人は刺繍を施す際に、想像力を働かせて刺繍する箇所に特別な名前を刻んでいく。
ランダは植民地時代より発展し、1565年にイバティン(トゥクマンの最初の首都)が創立され、ここに定住したスペイン人女性たちがその技能の一つとして針編みレース製品の手仕事を持ち込み、口頭で子孫に伝えたことがはじまりと言われている。現在この手工芸品に携わるレース編み職人は約40人いるとされている。

―イウミ・カタオカ✕AlunCo Foundation International✕絞り
日本で「有松絞り」の研修を受けた後、ブエノスアイレスのリハビリテーションセンター「AlunCo Foundation International」に通い交流プログラムを行いました。日本の「絞り」のプロセスを利用者およびスタッフとともに行い、作品を制作しました。

*絞り

「絞り」は布を束ね、縫い留め、折り、ねじり、圧縮して染める日本の技法である。絞りの技術を用いて布を染めた最古のものは8世紀にさかのぼり、当時は藍が主要な染料だった。絞りの主要なタイプは「嵐」、「雲」、「板締め」などがある。
20世紀まで、日本にはまだ多くの生地や染料が普及せず、主な生地は絹と麻で、その後綿が出回ったという。
「日本の絞り職人は素材の限界を超えることに努めるのではなく、素材と力を合わせて仕事を行います。予想できない要素は常に存在します。絞りのプロセスにおいて、布を形作る際に伴う全ての不確定な要素は、人間が支配できるものではありません。例えば、陶工が窯に薪をくべて焼成を行うのと同じです。すべての技術的な条件が揃っても、窯の中で起こることは、成功するかもしれないし、失敗に終わるかもしれない。チャンスとアクシデントは、同じく絞りの過程にも大きな影響を与え、ときにこれが特別な魔力をもたらしてくれるのです。」とは、藍染め絞りの第一人者・片野元彦の言葉である。

―セバスティアン・カマーチョ・ラミレス✕C.E.N.T.E.S Nº 1✕チャキーラ(Chaquira)
発達障害児を中心に3歳から12歳までの子供たちを受け入れている公立の特別支援学校「C.E.N.T.E.S°1」に通い交流プログラムを実施。コロンビアの伝統工芸「Chaquira」を携えて、交流とともに作品を制作しました。

*Chaquira(チャキーラ)

ビーズで飾られた織物の技法「チャキーラ」は、コロンビアの様々な地域で発展しており、そのルーツを探ることは困難で、実際、南米の他の地域においても同じ技法で作られた作品がみられる。本企画で参考にされたのは、コロンビアの南部に位置する先住民が暮らす集落カメンツァのものである。
カメンツァの工芸品の特徴の一つに、個人のお守りとして考案されたもので、持ち主を守り、これを通して強さや弱さを伝えてゆく側面がある。また、「ヤヘ」という、つる性の植物を用いた儀式の産物でもある。
ヤヘはカメンツァの人々にとって、精霊世界と交信するための媒介であり、意識を目覚めさせ、世界を知り、とりわけ体や精神、心を清めることのできるものと考えられている。

―五十嵐靖晃✕Cerrito Azul✕藍染め、アンデスの織物
8月上旬よりペルー・リマに滞在し、自閉症などの発達障害や知的障害を持つ子供から大人までを対象にした通所施設「Cerrito Azul」に通い交流しました。日本の藍染の糸と、アルパカの毛を用いて作品を制作しました。

*藍染め

藍染めの原料は、インディゴの色素を含んださまざまな植物である。元々、世界各地に自生し、古来より多くの効能を持つ薬草として珍重されてきた。日本では「蓼藍(タデアイ)」の葉を刈り取って水を加えながら醗酵させ、腐葉土の状態にした「すくも」を用いて抽出し、染めと天日干しの工程を繰り返すことで、鮮やかな藍の色が現れるだけでなく、染料自体が布や糸の繊維の耐久性も高める日本独自の技術である。本企画では、2015年より交流をつづけているクラフト工房La Manoで染められた綿糸を使用。

*アンデスの織物

アンデス文明は、16世紀のスペインによる征服以前に、現在のペルー、エクアドル、ボリビア西部、およびチリの最北部の太平洋岸とアンデス山脈の内陸部で栄えていた。古代のエジプト、中国およびメソポタミアに匹敵する文明を形成していたといわれている。その古代アンデス人が培ってきた文化の一つが、アルパカなどの高山に生息するラクダ科の獣毛および木綿を天然染料で染め上げた糸を用いた精巧な織物で、その起源は7000年前とも1万年前ともいわれている。多様な工程のうちの一つの機織りの段階では、2者が対面の状態で織り上げたり、杭や木に糸を括り付けながら、一方で自身の腰に糸をかけた状態で織ったりする。

―ヘンリー・オルティス・タピア✕Educational Institution N °1027 “REPUBLIC OF NICARAGUA”✕シクラ(Shicra)
貧困と治安悪化が深刻な地域に位置する小学校「REPUBLIC OF NICARAGUA」の子供たちと交流を実施。ペルーで古来から営まれてきた「シクラ」の技術を用いて、子供たちとヘンリー・オルティス・タピア及び美術学校の学生がともに作品を制作しました。

*Shicra(シクラ)

約5000年前に起源をもつ「シクラ」は、ケチュア語で「袋」を意味し、イグサやトトラ(ガマの一種)などの素材を用い、「シクラ編み」と呼ばれるかぎ針編みをベースに作られる。
ペルーでは、カラル遺跡やビチャマ遺跡などの場所で昔のシクラが発見され、最古のシクラは、建築構造物の基礎の一部であったことが解明された。また、その製造方法は常に共同作業で行われてきた。先土器時代は有機物や廃棄物を入れるものとして利用されている。
結び目や針を用いて作られたネットの形状は幅広い用途に使え、袋や網として、漁や採集などの様々な活動に用いられる他、ミイラとなる死体を包み飾るためにも使われた。何世紀にもわたる知識と技術の伝承である湾岸地域独自の「シクラ」は、現在ワウラ、リマで工芸品として生産されている。古代から用途は変化し、消滅の危機にさらされながらも細々と生産が続けられている。

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