活動日誌

「第14回TURNミーティングレポート」(前編)

2021.10.5

多様な背景を持ったゲストが集まり、それぞれの「違い」から、これからの社会や表現を考えてきたトークイベント「TURNミーティング」。その第14回を、8月17日(火)、3331 Arts Chiyodaの「STUDIO 302」を起点に、オンラインで開催しました。

TURNミーティングでは2020年度より、オンライン配信を実施してきました。生放送の映像配信という緊張感のある現場において、異なる背景をもつゲスト、スタッフ、参加者は、いかに協働し、意図を伝え合うことができるのか。そんな思いを抱えながら臨んだこの一年間の3回にわたるオンライン版TURNミーティングの実施には、多くの試行錯誤と豊かな発見がありました。

今回は、この間の活動を通して見えてきた課題を、「コミュニケーションの難しさ」というテーマで深めました。第一部には、自閉スペクトラム(※)の当事者研究に取り組む綾屋紗月さん、過去の回で「ろうナビゲーター」を担当してきた石川絵理さん、佐沢静枝さん、「ろうナビゲーター」に手話で情報を届けるフィーダーを務めてきた瀬戸口裕子さんが登壇。第二部には、綾屋さんに加え、評論家でラジオパーソナリティの荻上チキさんをゲストに迎え、TURN監修者の日比野克彦や現場を担当してきたアーツカウンシル東京のスタッフとともに議論を交わしました。

コミュニケーションの「ズレ」そのものに焦点を当て、話し合う、ユニークで新鮮な内容となった今回の配信。その模様をレポートします。

※「自閉スペクトラム症」とは、医学的な診断基準では社会的コミュニケーションの障害と言われています。綾屋さんは自己紹介の際、「自閉スペクトラム症」や「自閉症スペクトラム障害」といった診断名から「症」や「障害」を除外し「自閉スペクトラム」と表現しています。

■ コミュニケーションの「ズレ」そのものを語る

円座になって語り合う第1部の様子

文化や背景の違いに関わらず、どんな人でも議論に参加し、考えを深めるきっかけを得られる、「アクセシビリティ」の高い場づくりを目指してきたTURNミーティング。今回のオンライン配信でも、前回と同様、スタジオや配信画面には、「手話通訳」「音声ガイド」「字幕」といった多様な情報が飛び交いました。

他方、こうした日本手話と日本語では、それぞれに固有の言語体系や、使用者が理解しやすい表現方法があるため、生配信という条件での協働においては、「翻訳」に困難が生じ、思ったように意図が伝えられない場面もあります。二部構成となるこの日のTURNミーティング。第一部では、まさしく「オンライン生配信における課題と可能性」と題して、過去の回で見えてきたことが話し合われました。

ゲストのうち、石川絵理さん、佐沢静枝さん、瀬戸口裕子さんの三名は、これまで「裏方」としてイベントに関わってきた方たちです。TURNミーティングでは毎回、画面の前にいるろう者の視聴者に、より伝わる手話を届けるため、議論の内容を、まずフィーダーが手話にし、それを「ろうナビゲーター」があらためて、よりろう者に伝わる日本手話に翻訳し、配信にのせてきました。石川さん、佐沢さんはそのろうナビゲーターを、瀬戸口さんはフィーダーを担当してきました。つまり三名は、TURNミーティングで情報保障の実践に取り組み、その中で「コミュニケーションの難しさ」を感じてきた当事者です。

ゲストの石川絵理さん(左上)、佐沢静枝さん(右上)、瀬戸口裕子さん(左下)と、手話通訳を担当されたお二人(右下)

もう一人のゲストである綾屋紗月さんは、発達障害の一つである自閉スペクトラムの当事者として、自身の身体や感覚を通して、そのあり方を研究してきました。自己紹介を兼ねた短い発表のなかで、綾屋さんは、自閉スペクトラム症が医学的診断基準では「社会的コミュニケーションの障害」と言われることに、疑問を投げかけます。「たとえば、耳の聴こえない人たちの場合、音声で会話をする世界ではコミュニケーション障害が生じても、手話で会話する世界では自由に会話ができ、コミュニケーション障害が消失する、ということが多いです。つまり、コミュニケーション障害は個人の属性なのではなく、人と人の間に現象として起こるものなのです」と綾屋さん。自閉スペクトラム症においても「コミュニケーション障害の人」と「ふつうの人」がいるのではなく、多くの人が共有している文化やルールに当てはまる身体的特徴を持った人たち(多数派)と、あてはまりにくい身体的特徴や文化的背景を持ったさまざまな人たち(少数派)の間に生じる現象として「コミュニケーション障害」があるはずではないか、と指摘しました。

ゲストの綾屋紗月さん

さらにモデレーターとして、アーツカウンシル東京でTURNプロジェクトを担当する畑まりあも議論に加わりました。畑は、石川さん、佐沢さん、瀬戸口さんらと、現場における調整の難しさを毎回共有してきた、今回のテーマの発案者です。「TURNミーティングでは、さまざまな『通訳者』に、コミュニケーションのリレーをつないでいただいてきました。一方、そこには意思疎通が難しい場面もあった」と畑。そうしたなかで、その齟齬自体に焦点を当てる今回は、議論をスムーズに進めることではなく、お互いにわからないことを「確認し合う」ことを意識しながら対話をしたいと話しました。

■ 何が「ろう通訳」を困難にするのか?

さて、第一部では、はじめに過去の開催回におけるコミュニケーションや翻訳の齟齬が見られた箇所を、みんなで映像で確認しました。たとえば、第12回と第13回の映像には、それぞれ日本語の音声と配信画面上の字幕や手話の間に、内容のズレが生じていました。

第13回TURNミーティングの配信画面の様子

それらの回に「ろうナビゲーター」で関わった佐沢さん、石川さんからは、そもそも生配信という配信のあり方と、「通訳」という作業の組み合わせの難しさをめぐる指摘がありました。

佐沢さんは、「映像で確認すると、たしかに一部で内容のズレがありました。なぜそれが起こるかといえば、突き詰めると生配信だから。TURNミーティングではフィーダーからろうナビゲーターへという段階を経るため、どうしても映像とのズレが生まれる。そのことで私たちの表情にも一種の悩みが表れていると感じた。とくに映像のような後々まで残るような記録の場合は、事前収録して通訳の質を上げることも1つの手だと思います」と語りました。

ゲストの佐沢さん

これに石川さんも、「私はTURNに初期から関わっていて、監修者の日比野さんなどよく登壇する方の意見をなんとなく理解できている部分もあると思う。ただ、それでも通訳しながら発言の趣旨がわからず悩む場面はあります。TURNミーティングのような配信イベントを生配信にこだわることの意義はどこにあるのかということは、あらためて考えてもいいのでは」と続けました。

ゲストの石川さん

瀬戸口さんは、佐沢さんと石川さんが話した同時通訳にまつわる難しさは、耳の聞こえる手話通訳者にとっても同じだと言い、「同時通訳というのは、流れていく時間のなかで暫定的に発言の意味を予想して伝えなければならない場面がある。一番良いのは、確認しながら通訳できること」と話しました。

さらに瀬戸口さんは、言語にまつわる文化を、行間を読み、一を聞いて十を知るような察する文化である「ハイコンテクスト文化」と、はっきりと具体的に内容や対象を指すことが求められる「ローコンテクスト文化」に分け、日本語を前者、英語や手話を後者に属するものだと整理。こうした言語間の文化の違いや、「アート」特有の抽象的な言葉のあり方も、同時通訳を難しくしていると、実感を口にしました。

ゲストの瀬戸口さん

一方で綾屋さんは、日本語の音声と手話、二つの言語を日常的に使っています。幼い頃から声を出すことが難しかったという綾屋さんは、「聴者として生活し、聞こえる人の文化もわかるが、音声での会話は難しく、排除されている感覚があった」と話します。そうしたなか、大学時代には、ろう学生たちが仲間づくりや情報保障の問題解決のために集まる団体に参加し、ろう学生たちと共に活動しながら手話を学習。しかし、「ろう者の手話は私には難しい部分もあり、聴とろうのどちらにも居場所がない感覚がある」と、文化の異なる言語間を生きる自身の立場を、あらためて手話で語りました。

今回のイベントでとても印象的だったのは、冒頭の畑の「確認し合う」という言葉に反応するように、議論の途中で「それはどういう意味?」という確認の時間がたびたび訪れたことでした。こうした会話の中での疑問や違和感は、一般的なイベントの議論では、進行や相手の感情を慮るあまり、表明を躊躇したり、何となく意味を推察して自分を納得させたりすることがほとんどでしょう。実際、相手の真意を繰り返し確かめる時間には独特の緊張感がありますが、裏を返せば、何気なく過ぎていく普段の会話には、じつはこれだけ多くのコミュニーション不全が潜んでいるのだと、気付かされる時間でした。

発言内容の確認の際には、放映していた画面の右上に「ただ今、確認中」のテロップを表示

■ 理想的なオンラインイベントの配信とは? それぞれの思い

続いて、過去の回で「ここは良かった」という場面の振り返りも行われました。

瀬戸口さんがいくつか選んだ場面のひとつは、第11回で、ドラァグクイーンのマダム ボンジュール・ジャンジさんが絵本の朗読をする場面です。その部分の「ろうナビゲーター」を務めていたのは佐沢さんでした。瀬戸口さんは、「佐沢さん自身が、普段から子供や高齢者に向け、手話によって絵本の世界を伝える活動をしているので、ぜひ佐沢さんに担当してほしいという思いがあった。実際、この場面の佐沢さん手話通訳には、絵本の文章ではなく、絵本そのものの世界観を伝えているような感覚があった」と言います。

第11回TURNミーティングの配信画面の様子(左が佐沢さん。右がマダム ボンジュール・ジャンジさん)

これを受けて佐沢さんは、「ジャンジさんはすごく華やかで魅力的な方なので、どのように手話で表現するのか考えました。たとえばジャンジさんのテンションにあった表出でないとろう者には伝わらない。そこを工夫して表現してみました」と応えます。同時に、「そこでリズミカルに手話表現ができたのは、絵本の内容が事前にわかっていたからでもあります。収録なら、通訳の質がさらに増すとも思います」とも話します。

同じ振り返り映像を見た石川さんからは、ジャンジさんの登場シーンで、「UDトーク」という自動音声認識システムを使った配信上の字幕が正しく表示されていないとの指摘も。「私はUDトークの誤変換を修正する仕事もしているので、歯痒さも感じました。誤変換が映像でそのまま残ってしまうのが、個人的にはとてもストレス」と本音をこぼします。

議論全体を通じて、とくに石川さんと佐沢さんの二人からは、繰り返し、「なぜTURNミーティングは生配信なのか?」という疑問が投げかけられました。石川さんは、「手話通訳は、ただ音声を手話にするのではなく、ろう者の歴史や習慣という背景も踏まえて通訳している。そこをきちんと事前にすり合わせできることが、本当はもっとも理想的だと思う」と話します。

一方、畑から「生配信のなかでどんな改善策があると思うか」と問われると、「一番良い方法は番組やそのなかの場面によっても変わる」と佐沢さん。「たとえば、先ごろ開催された東京2020オリンピックの閉会式やパラリンピックの開会式では、初めて放送にろう通訳の人が登場して話題になりましたが、遅れて表示される字幕と違って、リアルタイムに手話通訳を見ながら映像を楽しめるという良さがあった。ろう通訳者に音声内容を手話で伝える『フィーダー』とのチームワークの良さや、事前に資料の咀嚼があったのかもしれません。ただ、音楽がメインのときは音楽に親しい聴者の通訳がやった方がいいとも感じた。そんな風に一つの番組内でも、ふさわしい通訳者は変わると思います」と指摘します。

話を聞いていた瀬戸口さんは、ろう通訳の場合は、たしかに収録が一番正確な方法としたうえで、「ただ、TURNは実験的な場所だと理解している。成功も失敗もあり、失敗もひとつの重要な情報になる」と話します。加えて、「個人的にはTURNを通じて『ろうナビゲーター』や『ろう通訳』の存在自体を知ってほしかった」と言い、通訳内容の正確性など情報保障の話と並行して、ろうナビゲーターの存在が配信を通して視聴者に見えること自体の意義もあると語りました。

■ 抱えていた負担を、協働相手とシェアする

ここで印象的だったのは、それまで手話を使っていた綾屋さんが、「今度は音声で話します」と切り出し、二つの言語を使う立場から新しい視点を投げかけた場面でした。議論に参加しながら綾屋さんは、会場の手話通訳者の言語のうち、「手話から音声へ」よりも、「音声から手話へ」という向きの変換に、自身の感覚との近さを感じたと話します。そしてその状況に対し、「ここでは音声で話した方がズレが少ないと判断した」と言います。

「リアルタイムでやるということは、その場で調整し続ける、しなければいけない、ということでもありますよね。モデレーターの畑さんの喋り方も、今日のイベントの話し始めのころに比べ、手話に変換しやすい語り方に変わってきていると感じます。そうしたかたちで、現場で自然に、かつ意識的に行われる『調整』も、生配信の重要性ではないでしょうか」と綾屋さんは投げかけます。

それを受け、石川さんは、「配信のワイプに出る手話通訳は、たとえば間違っていたことに気づいたり、他の通訳者にフォローしてもらったりしても、通訳内容を修正しますとは言いづらい面があると思う。通訳者や出演者にその場で『今の発言はこういう意味ですか』とすぐに確認し、協働しながら通訳していけたら、その会を一緒に作り上げていくという意識が高まるだろう」とし、その改善策の1つとして、この日の議論でも行われていた、「ホワイトボードに議論の要点をまとめて見せていく方法」も有効ではないか、と指摘しました。

当日はホワイトボードにキーワードを記載。右はモデレーターの畑まりあ

瀬戸口さんは、「コロナ禍で、配信という文化が豊かになったことを機に、いろいろと試していくことが大切だ」と話します。「というのも、最近、ある人から、“豊かさ=アクセシビリティ”と聞いて、その通りだと思ったんです。アクセスできる環境があることで、いろんな人と交流や共有ができる。その感覚をもっと身近にしないといけないと思います」。

これに関連して綾屋さんからは、「複数の選択肢から自分に合った情報ツールを選択できることが大事」との意見が挙がりました。たとえば綾屋さんの場合、音声と字幕が一致していると内容が理解しやすいですが、そのタイミングがズレている場合は情報過多と感じ、むしろ混乱すると言います。この場合は、新しいアクセスの方法をつくるよりも、画面の前にいる視聴者が既存の情報群から好ましいものを取捨選択できることの方が重要だと言えるでしょう。

このように、人にはそれぞれに合った理解の仕方があります。綾屋さんは「長時間ぶっ通しで視聴するより、短く刻んで視聴した方がいい」という人や、「繰り返し見られた方が理解できる」という人、あるいは「映画館のような場所での視聴が苦手で、家での視聴の方が合っている」という人などの例を挙げました。言語の数に限らず、その選択可能性や視聴環境の幅も、アクセシビリティにとって重要な視点と言えるのではないでしょうか。

第一部の終わりを、畑は、「正解は一つではないと考えている。こういう形で協働する方たちと議論を交わしながら、試していくことが大事だと思います」とまとめました。

登壇を終えた佐沢さんからは、「こんなに腹を割って話せたことが初めての機会でした」との声が聞かれました。「いままで聴者の方は、通訳者がいるから手話での情報保障は大丈夫だろうと思っていたかもしれません。でも、じつは通訳者は大変で、その悩みを話す場所がないんだ、と。そうしたなか今回は、いままで通訳者だけが抱えていた負担を共有することができた。生配信中に『いま通訳が大変そう』などと気付いてもらえ、その解決策を一緒に考えるようなきっかけができたと感じ、良かったと思います」と感想を話してくれました。

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