活動日誌

ザ・東京ヴァガボンド x レッツ 第4日目

2017.8.6

テンギョウ・クラ

交流先│

  • 認定特定非営利活動法人クリエイティブサポートレッツ

今日はアルス・ノヴァが閉まっていたので、散歩したりカフェでのんびり書き物をすることにした。
午後3時を回った頃だったろうか、カフェに向かって歩いていると、杖をついた老人がやっとの思いでつま先を押し出すようにしながら前進している(と言うより動いていると言った方が近い)のを見かけた。
アスファルトの照り返しがきつい猛暑日だった。
あまりにも歩行の具合が悪そうなので手伝おうと声をかけた。
「お父さん、どこ行くん?」
「んあ?あぁ、ちょっとね、歩いてるんだけど」
「大丈夫?」
「うん、なんかね、足が前に出んのよ」
「そっか、一緒に歩こうか?」
「いや、悪いね。あんたどこの人?」
「火星の人」
「おぉ、そうですか」
目の前には交差点があった。
「お父さん、この道渡るん?」
「うん、渡る」
「じゃ、俺が腕貸すからつかまって。一緒に渡ろう」
僕が差し出した左腕につかまってちょっと歩いてはみたが、すぐに老人は立ち止まってしまった。
「腕は動くからな、つかまって歩くのは難しいんや」
そう言って道沿いに立っている家の塀を支えにしながら、もう一方の手で杖をついてまた彼は歩き出した。
かなりの歩行困難になると腕にもつかまれないから、こういう状況だと抱きかかえるかおぶるしかないと初めて知った。
一歩の距離が5センチ程度のスピードで、老人は休み休み渡る道の方へ向かっていく。
その時僕たちの後ろから女性が声をかけてきた。
「お父さん大丈夫?今私ん家の二階からお父さんが歩いてるの見かけて、暑い中大変だろうと思って慌ててスポーツドリンク作って持ってきたのよ」
そう言った彼女も杖をついていた。
「良かった、もういなくなっちゃったかと思って慌てちゃった」
老人は塀にもたれかかりながら、冷えたボトルを受け取って中身を飲み始めた。
背中が曲がっていて顔が上に上がらずうまく飲めない。
額からは汗が滴り落ちていて、鼻水も流している。
「タオル持ってないんじゃない?これ持ってって」
女性はボトルを包んでいたタオルを老人に手渡した。
「気をつけてね、暑いから」
「ありがとう」
老人と僕は彼女にお礼を言って、彼女が去っていくのを見送った。
それから老人はタオルを首に巻いて、その先で鼻水を拭った。
「お父さんどこまで行くん?」
改めて聞いた。
「家に帰るの」
「家って家族の人とか迎えに来ないの?」
「自転車に乗って出ようと思ったら、家族が危ないっちゅうて鍵を貸してくれんかったのよ」
僕の質問に答える代わりに、老人は照れ臭そうにそう言った。
僕たちは20分ほどかけて5メートルを進み、老人が渡るという交差点に差し掛かった。
どう考えても僕が彼をおぶるしかここを渡ることは出来そうになかった。
「お父さん、俺がおぶるから背中乗って」
僕は彼の前にしゃがんだ。
「そうかい。すまないね」
老人から杖を受け取って彼が背中に乗りやすいように迎え入れるが、彼の上半身が固まっているためうまく背中に負ぶされない。
背中に重心を預けてもらわないと、小柄な老人とは言え僕も立ち上がることができなかった。
何度やってもうまくいかないので、ちょうど通りがかった若い男性に助けを求めることにした。
「すみません。このお父さんをおぶってここを渡りたいんですが、うまくおぶれないんです。後ろから彼を支えてもらえませんか?」
「いいですよ」
ヘッドフォンをはずしながら若者は僕たちの後ろに回った。
「お父さん、行くよ。すみません、じゃお願いします!」
ウゥッと言う老人のうめき声と共に僕は渾身の力で立ち上がった。
一瞬膝がぐらつくが若者の支えもあり、おんぶというよりは騎馬戦のように僕の背中と若者の胸に挟む形で老人を持ち上げることに成功した。
そのままの勢いで一気に道を渡りきる。
こんなに真剣に横断歩道を渡ったのはいつ以来だろうか。
「仕事があるのでここですみません」と言う若者に礼を言って、僕たちはまた二人きりになった。
「大丈夫?また歩ける?」
今の移動でかなり体力を消耗したらしく、老人は一歩も動けないでいた。
見ていて気付いたが、彼が休むために塀に寄り掛かろうにも、足と腰が連動していないのでよほど塀に近づかないとうまく寄りかかれない。
かといって道沿いの家が歩行困難者のために塀に手すりを付けるようなことは、今はまだ期待できない。
なぜこの状態で一人外出したのか。
僕は不思議に思ってもう一度彼に質問した。
「なんで家の人は迎えに来てくれないの?家を出る時も自分で歩いて出たの?」
顔をしっかり上げられない老人とはほとんど目線が合わなかったが、この時彼はなんとか頭をもたげて分厚い眼鏡の奥から僕の目を見つめた。
「出来るかどうかじゃないんよ… 気が済むか済まんか、それだけじゃないかい、生きるっちゅうもんは」
「…そっか」
僕にはそれしか言えなかった。
その時、彼の持っていたウェストポーチから電子音が聞こえた。
「あ、電話や」
老人が言った。
僕は慌てて彼のポーチを開けさせてもらい着信中の携帯を取り出し手渡した。
「もしもし」
老人が応答する。
「今どこにおるん?!」
僕にまで聞こえるような声で電話の向こうの人が喋っている。
「なんかな、坂道越えたら足が動かんようになって」
「だから今どこ?!」
疲れ果てた老人は話す気力も無くなったのか、僕に携帯を預けてきた。
「すみません、通りがかりでお父さんを見つけて心配だったので今まで一緒にいました。龍雲寺と言うお寺のすぐそばにいます」
そう伝えると会話の主はとても申し訳なさそうに僕に謝ってすぐに迎えに行くと言って電話を切った。
「お父さん、今家族の人が迎えに来てくれるって。それまでここで休もうか」
そこは一軒家のガレージ前だった。
僕が老人を座らせて直射日光が当たるのを防ごうと彼の上に体をかぶせて影を作っていると、その家の人がちょうど車で戻ってきてガレージに入ってきた。
車から降りてきた初老の女性は汗だくの僕たちを見て「お宅のガレージの前ですみません」という僕に笑顔で応えながら「大丈夫ですか?」と老人を労った。
「陽射しが強くて」と僕が言うと「これで少しマシになるかしら」と彼女も自分が着ていたゆったりとしたワンピースの両サイドをつかんで左右に広げて老人と太陽の間に立ってくれた。
やがてそこへ黒のプリウスが一台やってきた。
「いやぁ、本当にすみません!お父さん、ダメでしょ、皆さんに迷惑をかけては!」
車から降りてきた老人の息子らしい男性が老人を叱る。
「いやぁ、坂を越えたら足が動かんようになって」
老人はさっき電話で話していたことを繰り返した。
「本当にご迷惑をおかけして。どちらの方でしょう、ぜひお礼をさせてください」
老人の息子は心底申し訳無さそうに僕に言った。
「いえいえ、どうか気になさらずに。お互い様ですから」
僕はそう答えて車に乗り込む老人に声をかけた。
「お父さん、気をつけて。元気でいてね」
助手席でさっきもらったスポーツドリンクのボトルを口にしながら彼はこう言った。
「坂がね、気が済まんかったの。ありゃ大した坂じゃ」
「もう気が済んだ?」
「あぁ、もう当分ええな」
僕たちは同時に微笑み、お別れを言った。
ガレージの家の女性と一緒にプリウスを見送り、女性に礼を言ってから僕はカフェへの道を歩み始めた。
「人生は出来るかどうかじゃなくて、気が済むか済まないか。ただそれだけ」
老人の言葉を思い出しながら、照りつける太陽の下、僕は歩けるだけ歩いてやろうと改めて自分の人生を思った。

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