活動日誌

答えにすがらない精神、考える前に動き出すカラダ

2018.1.17

大西健太郎アーティスト

交流先│

  • 板橋区立小茂根福祉園

今日は、「『お』ダンス」を始めてから、初めて2度目のメンバーを交えた編成でおこなった。
これは、以前から高田さんや片桐さんとの振り返りで、繰り返し参加することで場への関わり方や居方、またパフォーマンスの変化を見てみたいという話をしていたからだ。
前回、初めて活動した時には見えなかったことがいくつか言葉になってきた。
「よ〜い…(手を鳴らして)パン!♪」で始まりと終わりを区切る習慣にも慣れてきた。音に身体で反応するように、始まりと終わりが分かるということが、メンバーにとっても集中しやすい環境になっているようだ。
 普段だったら、集団のタイミングにのって行動することや、はっきりとした目標を掴みにくいことに困惑しがちな利用者さんだが、落ち着いて楽しんでいる。「自分を出す余地があることを感じているのかもしれない。」と片桐さん。
 普段服用している薬の副作用で、表情が強ばったり、思ったことや感情を言葉にすることが難しい時がある。活動の一つ〈手の会話〉をしていると、さまざまなかたちで身体の中に流れる波が表情をあらわす。意識がふっと遠のいていく瞬間、眠り始めてしまったような深い沈黙、今いるここが別の場所になって、かと思ったら呼びかけられ戻ってくる瞬間、めくるめく風景が変化する。自分でも意識していないこと、ついそうなってしまった動き、横やりのように舞い込んでくる出来事などなど、どこからどこまでが自分のことで他人のこと?ちぐはぐで根拠がない、非論理的で方向性のない行為。本人も「何で(そうなった)?」の表情。周りがどっと笑う。
 活動を正しくやろう、内容を理解して網羅してやろう、やろうやろうと意気込み過ぎても行き詰まる。かといって、ふざけているだけでは、場の空気を食い尽くしてしまう。
 場が停まらず、渦を描き、何とも固まらず、呼吸し続ける時間にのみ生まれるダンスの交感があるのかもしれない。この時の「呼吸」とは、複数の立場からの、異なる色合いのエネルギーが、それぞれの波動を奏でながら場に投げかけられる状況のことを言う。場の空気を温めるかけ声、リズムが崩れる瞬間を楽しみに待つ眼差し、ワカラナイまま飛び込める精神、全体の空気を敏感に聞く耳、考える前に動き出すカラダ。
 移ろい続ける場の「呼吸」を一つの音楽にたとえるなら、この音楽を奏でる楽器、音の編成があるかもしれない。ひとまず今日は、「声」「眼差し」「精神」「耳」「カラダ」という言葉をキーワードにとどめるまで。

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