[板橋区立小茂根福祉園とTURN]風が吹き 、夢はおどる ー Episode1:すれ違いから始まる物語

取材・文:長瀬光弘

「TURNに参加していただけませんか?」と尋ねられた時、小茂根福祉園前園長の工藤かおるさんは「アーティストが施設に来て何をするのか。それによって何が起こるのか想像もつかなかった・・」という。しかし、アーティストの富塚さんのワークショップで、職員や利用者がアルミホイルを体中に巻き付け楽しそうな様子を見たことで不安は消えていきました。小茂根福祉園とTURNの出会い、交流のはじまりを紹介します。
<「TURN JOURNAL 2018(2019年3月発行)」より>

2016年2月に行われたアルミホイルをまとうワークショップの様子。利用者と富塚絵美(右)

はてながいっぱい

(何を言ってるんだろう、この人たちは?)

2015年秋、小茂根福祉園の2階にある、こぢんまりとした会議スペース。机を挟んで、工藤前園長、小茂根福祉園職員たちとコーディネーターの奥山、アーティストの富塚が向き合っていた。運営スタッフと富塚は過去に他のアートプロジェクトでともにした関係だ。小茂根福祉園と富塚の両者はこの日が初対面だった。

「TURNに参加していただけないでしょうか?」
奥山が尋ねるも、小茂根福祉園側の人間は困惑した表情のままだった。

「何のことだかさっぱりわからなかったんです(笑)。もともとアートのこともよく知らない。アーティストがここに来て何をするんだろう。それによって、何が起きるんだろう。何もイメージできなかったんですよ」初めてTURNについて説明を受けた時のことを工藤前園長はこう振り返る。同席していた小茂根福祉園職員たちのうちの一人が高田紀子だった。彼女は後にTURNの活動に深く関わっていき、園内に新設されるアート活動推進委員会※の委員となる存在だ。しかし、この日は工藤前園長と同様、はっきりとした理解には及ばなかった。

小茂根福祉園の支援スタッフでTURN担当者の高田紀子 写真:野口翔平

「小茂根福祉園に普段来ないような女性が二人いらっしゃって、何かを話してくださるんですけど…。そもそもアーティストって何をされている方なのかもわからないですし、TURNが何をするのかもわからない。はてながいっぱいでした」

重い空気が室内を包む中「東京2020オリンピック・パラリンピックの文化プログラムを先導する東京都のリーディングプロジェクトの一つでもあります」という奥山の一言で、流れは一変する。

工藤前園長が、東京2020 オリンピック・パラリンピックの一端に、小茂根福祉園が関われることに強い関心を抱いたのだ。それは、園長としてのメンバーや職員に対する思いから来ていた。「東京2020オリンピック・パラリンピック関連のプロジェクトに、小茂根福祉園の名前が出れば、施設のことをいろいろな人に知ってもらえる機会となります。利用者さんにとってよいことにもなるし、職員も喜ぶでしょう。はっきりとはわからないままでしたけど、悪いことにはならないだろうって、参加することを決めました」

貴重な気づき

正式に参加施設となった小茂根福祉園だが、しばらくは手持ち無沙汰な時間を過ごす。高田は当時を振り返る。「アーティストの富塚さんが来る、と運営スタッフから聞いていたんですけど、一向に運営側から連絡がなくて。とりあえず待っていればいいのかな、と工藤前園長と話をしていました」(高田)

この待ちぼうけは、TURN運営チームとアーティスト間の意思疎通がうまく取れていなかったことや、運営体制が十分整っていなかったことに起因する。小茂根福祉園には富塚が定期的に伺う予定と運営側が伝えていたが、運営チームとアーティストの役割分担や、TURN交流プログラム(以下、交流プログラム)というプログラム自体の設計を模索しながら進めている段階であった。そして、“交流”という言葉が持つイメージの共有が十分ではなかった。こうしたすれ違いはアートプロジェクトにおいては、往々にして起きるものだが、初めてのTURNフェス(以下、フェス)を控え、工藤前園長には不安がよぎる。

「ウェブサイトでフェスの事前情報を見ると、参加施設やアーティストなどの名前がはっきりと出ているのに、小茂根福祉園の名前はどこにもなかった。『あれ? どうなってるの?』という気持ちでした」(工藤前園長)

TURNにおける“交流”とは

運営チームは改めて話し合いの場を持った。アーティストとの連携不足だったことなどの不手際を詫び、フェスでのクレジットについても明記することを約束し、工藤前園長も一定の納得を示した。しかし、どうにも腑に落ちない。「なんだかこのままフェスをやってもTURNに参加したという気に全然ならないな、と。利用者さんに何と言っていいかわからないし、職員も知りたいと思ったので、富塚さんに『ぜひフェスの前に、小茂根福祉園に来てください』と誘ってみたんです」

その声かけに富塚も快諾。フェスを目前に控えた2016年2月、小茂根福祉園に改めてアーティストが訪れることになった。いきなりのすれ違いから始まった、小茂根福祉園との歩み。だが、このつまずきを経たことで運営チームは「アーティストと施設・コミュニティ間の調整」や「プログラムの設計」に対する意識を格段に向上させることになる。以降の交流プログラムにおいては、参加施設、コミュニティの特性を考慮し、それぞれのアーティストにどのように参加してもらえば、よりよい交流ができるのかを慎重に判断している。つまずきがあったからこそ、早い段階で貴重な気づきを得ることができたのだ。

今振り返れば“さもありなん”な話に思えるが、当時はプロジェクトを立ち上げたばかり。運営チーム、アーティスト、施設それぞれがTURNにおける“交流”とはなんなのかを模索する重要な時期だったとも言える。

終わってみたら

富塚が小茂根福祉園に訪れた際に行ったのが、アルミホイルを使ったユニークなワークショップだった。キラキラと光るアルミホイルの“魔力”を借りて、誰もが主役となれる遊び場を創出したのだ。

アルミホイルを体の好きなところに巻きつけて形作るワークショップの様子

「富塚さんがアルミホイルを体に巻きつけて登場したんですよね。それがキラキラして、綺麗なんだけど、おかしくもあって。とにかく華やかだった。利用者も喜んでました。それで、職員や利用者も一緒になってアルミホイルを体中に巻きつけたんです。好きなだけ使っていいよと言われて、みんな創作意欲が湧いたんでしょうね」(工藤前園長)

「大丈夫かなって最初は不安だったんです。利用者がどういう反応するのか、職員がどう受け止めるのか。でも終わってみたら杞憂に終わりました」(高田)

二人が揃って口にしたこの日の感想がある。
「終わってみたら、なんだか楽しかった」

運営チームはつまずきが発生したことで、「小茂根福祉園との関係は一回で終わりかもしれない」という懸念を抱いていた。しかし、結果的に、この日の体験が大きな礎となり、小茂根福祉園はここから長い時間をかけてTURNに参加していくことになる。

※アート活動推進委員会 ― 小茂根福祉園のアート活動全般をマネジメントしている委員会。利用者の好きな(得意な)表現方法でその人らしさが見えてくる創造を目指し、別称『ART+(アートプラス)』と呼んでいる。利用者の日常から発見された『きらりグッと!』を形に残す活動も行っている。

■本エピソードを収録した「TURN JOURNAL 2018」全文はこちらからご覧いただけます。

■その他のコラムはこちらからご覧いただけます。

© Arts Council Tokyo