「連載:もうひとつのTURNを考える〈後編〉」傷つきが、出会い、循環する場をひらく
障害者や芸術文化について研究する長津結一郎さんは、TURNのプロジェクトが始まったころからその展開を見てきました。TURNから「社会包摂とアート」を考えていく連載です。
<「TURN JOURNAL SPRING 2020-ISSUE03(2020年3月発行)」より>
小さな声を聞き逃さないこと
空、今日とか超快晴じゃないですか。
僕は空を見て、「気持ちいいな」って思うんですけれど、ある取材で、「別に気持ちいいって思わない」と言われて、結構それは衝撃で。このスカッとした青空を見ても、気持ちいいって思わない人もいる。「当たり前」の数は人それぞれあるということを、自分のなかで、日常のなかで忘れないようにしたいなと思っていて。
自分というものがありながら、でも目の前の人は自分ではないから、自分が思う当たり前は必ずしも通じるわけではないという前提で、通じる部分があったらより良いというのを日々模索しているんです。
—犬童一利—[映画監督](TURNフェス5、ゼミ1「ことばをつくる」より〈※1〉)
前号に掲載の〈前編〉では、「もうひとつのTURNはどこにあるのか」と問い、わたしたちの居場所をつくることについて考えた。この〈後編〉では、2019年8月に行われた「TURNフェス5」の会場で、私が「ゼミ」と称して行った対話の場での発言をたどりつつ、「より小さな声を聞き逃さない」ということについて、もう少し考えてみたい。
僕の歌人としての仕事では、短歌を広めることと、あとはゲイであることをオープンにして、社会的にもセクシュアル・マイノリティが認められるような社会を目指したい、と思っています。でもそれを全部同時にしようと思うと、それはかなり難しいものがあるんです。そのため、たとえば「今回は思いっきりゲイの方に振り切ろう」と、『ゲイだけど質問ある?』っていうタイトルのエッセイを出版したり。歌集をつくるときは、もっと俯瞰で自分をとらえた、人間としての僕をきちんと表現しよう、と。表現の仕方をその都度変えながら模索しています。
—鈴掛真—[歌人](TURNフェス5、ゼミ1「ことばをつくる」より)
「TURNフェス」は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に伴う文化プログラムの一環として実施されている。パラリンピックは言うまでもなく、障害のある人の、ある種の「エリート」の祭典である。オリンピック・パラリンピックを「文化の祭典」としても位置付けられているが、その「エリート」、換言すると「頂」だけではなく、「裾野」のあり方、さらにはそこから広がる広大な平野、広大な大地を作っていくような視点を求めたくなる(この発想は、以前岡部太郎さん[一般財団法人たんぽぽの家]が、とあるフォーラムで話していたことに影響を受けている)。
たしかにTURNフェス5の4日間の現場(そのうち私が立ち会えたのは2日間であったが)は、祝祭感があった。多様な背景がある人たちが行き来しているようにも見えたし、実際に行われるプログラムの多様性に頭が揺らがされる体感を覚えた。ただ、広報の問題もあってか来場者層をみると、TURNフェスで行われていたことが、当事者とその少し先、という以上に広がりを十分に持つことは難しかったのではないかという印象も持つ。また、芸術ジャンルや障害種別などがあまりに多様すぎて、なにかの見本市のようにも感じられた(TURNフェス5の、とあるイベントの終わりに、「わけがわからないと思ったかもしれません、でも世の中そんなもんです。わけわかんないものを自分たちで噛み締めて、明日見る毎日の風景をちょっとでも違う目で見てもらいたくて」という言葉が聞かれたように)。そのことで、何も知らない観客にとってある種の思考停止の場としてTURNフェスが機能してしまうという危険性もあるのではないかと感じられた。
平田オリザの言葉を借りれば、「みんな違って、みんないい」ではなく、「みんな違って、たいへんだ」(※2)。だとすれば重要なのは、その大変さに対してぼんやりと見つめて忘れていくのではなく、そこに向き合おうとする視点であり、そのことを通じて自分のあり方を考え直すという視点であろう。
「協働」の多様な側面と、「わたしたちの居場所」
技術が民主化されたことでできる範囲が広がりつつも、結局は「自分はここまでやって」「他の人と一緒に何かやる」ところの境界が、より明らかになってきたのかなと思います。そこで初めて自分が持っていた技術の解釈が、また他者とのコミュニケーションによって変わってくる。相対的に見た自分のスキルと、自分が発揮しているスキルとは違う。その境界が見えてきた。
—金箱淳一—[神戸芸術工科大学助教](TURNフェス5、ゼミ2「ものをつくる」より)
他者に対する協働のまなざしは厄介だ。時に他者との協働により自らの視点を広げ、そのことがひいては他者のありようもまた変えることがある。その一方、協働が無自覚に他者を殺めることもある。協働が、誰かを、殺す。
それに対抗することこそが、文化の役割なのではないかとも思える。殺されてしまった声、殺されるかもしれない声を聞くことや、その聞くという行為そのものから始める何かを、丁寧に見つめること。社会包摂を願うプロジェクトであればあるほど、その視座が求められているような気がしてならない。
かつては犯罪被害者の遺族、しかも未解決事件の遺族である私が、不特定多数の方々に発信を求められたとき、ある程度受け取りやすい物語として提示せざるを得ませんでした。ある程度いい話をしてしまっていたんです。犯罪被害者遺族の枠組みからは「正義」のスタンスでの発信以外、受け取られにくい現状があって、つい、こちらも構えてしまったんですね。私が伝えたいのは「グリーフケア」のメッセージです。悲しみは、解消=キュア(cure)することはできないから「グリーフケア」。悲しみとともに生きていくこと、「悲しみの水脈」でつながっていくことなんです。そのためには、構えた発信じゃなくて「弱さ」「困りごと」の発信の方がずっと伝わりやすいってことに気がつきました。困っているときに「助けて」と言い得る社会であってほしい。「聴く」ことから「他人事」が少しずつ「自分事」になっていくんだと思います。
—入江杏—[ミシュカの森主宰](TURNフェス5、ゼミ3「じぶんをつくる」より)
いくつかのプロジェクトが同時並行で行われるブースを回覧しながら私は、2020年以降にも社会的基盤として根付いていくことを目指すTURNだからこそ、生まれ得たものは何だろうか、ということについて思いを馳せていた。他の類似するイベントや取り組みを単にキュレーション、もしくは寄せ集めたというだけではない、この場だからこその行為。TURNフェス5のなかでのそのような視座、換言すると、「わたしたちの居場所」となり得たかもしれない瞬間が、複数みられたように思われたのは希望だった。
例えば大西健太郎と宮田篤は板橋区立小茂根福祉園とのコラボレーションにより、展示している時間全体を使った参加型パフォーマンスを展開した。部屋全体を薄暗くし、井川丹による音楽とともに、来場者とともにパフォーマンスを通じて「影」をつくる。来場者といってもほとんどは小茂根福祉園の利用者とその職員のように見受けられ、東京都美術館の一室にまるで福祉施設がそのまま移設したような集合体であった。場やそこで行われる行為に関する当事者意識に目を奪われた。
同じく空間全体を使った展示をしていた富塚絵美も抜きん出ていた。あるひとりの盲ろう者へのリサーチをもとに、彼がどのように世界を感知しているのかを手がかりとした空間をつくりあげた。洗濯物をつるし、扇風機を展示室のいくつかの場所で回すことで、その触覚や嗅覚を通じて位置を知るための手がかりにしている彼の感覚を、手触りのよいクッションやベッドに座りながら追体験する。たったひとりへのまなざしから作った包摂的な空間が広がっていた。
つながりから生まれる表現
僕がFab(持たざるものに力を与えるための民主化された技術の総称)に可能性を感じているのは、現実の道具をつくりながら、未来をどうしたいのかを思索する共同体が重要だと思うからです。たとえば政治や経済などに対して、自分が造形できないという感覚、つまり無能感や造形不可能性のようなことが、イデオロギーに大きな影響を与えているのではないかと思っています。でも、もしかしたら今つくっているその道具の力で、未来を変えられるかもしれない。未来を思索しながら現実の道具をつくり直す。それを何回転も繰り返すことに小さな共同体であっても未来を造形できる権利がある、それを実感できる可能性があるのではないかと。
—島影圭佑—[OTON GLASS/FabBiotope主宰](TURNフェス5、ゼミ2「ものをつくる」より)
見本市のようにあれこれと並ぶ空間の、その隙間に、ふと息をつく時間がある。大西や富塚の空間のほかにも、牧原依里ら東京ろう映画祭のメンバーによるワークショップでは、ろう者がマジョリティとなる会話により映像制作のワークショップが開かれ、音声言語だけではない空間に立ち止まらされた。この空間の複数性は、今回のTURNフェスにおける「Pathways 身のゆくみち」というタイトルに託された意図によるものであろう。
初日の夜に行われたパフォーマンスイベントについても同様に、複数性が現れた瞬間があった。陽気なサルサや、技巧的なヒューマンビートボックスに続き、福祉施設の日常を描いたラップのパフォーマンスと、どちらかといえば耳馴染みの良いパフォーマンスが続いたあと、最後に出てきたのが「ラブ・エロ・ピース」というバンドである。ボーカルを務める男性の声は言語障害もあって音程や歌詞は一度にはなかなか聞き取りづらい。もうひとりのボーカルははっきりと聞こえる一方、女装をしているようなのだが、舞台上ではそのことに関しての言及はまったくない。キーボードを弾く女性の音は終始外れていて、そのボリュームが全体のバランスに比べ大きいため、特に気になってしまう。しかもベースやギター奏者(トークにも登壇した新澤克憲)の合間を縫うように、独特なダンスを続けるおじさんがいる。それまでノリノリで聞いていた観客も、この現象をどのように受け取ったらいいのかとまどっている様子である。彼らが最後に演奏した曲の歌詞は、「死んでない、殺すな」と繰り返す。相模原障害者施設殺傷事件を経て作られたというこの曲は、障害者の社会的状況やその扱われ方について嘆き、怒る。彼らの定番曲だという。
ラブ・エロ・ピースには「笑ってる場合じゃねえよ、やまゆりの歌をちゃんと聞けよ」っていうメンバーもいれば、「拍手してもらって嬉しい」というメンバーもいます。一つの何かにまとめようとしない、できない、その諦めみたいなものが漂っていて。それがあの表現を成立させているような気がします。
自分の意図そのものは伝わっていかなくても、とりあえず、そこにいて、何かを提示することによって、そこから全然違うところにいた人と人がつながっていく。さきほど入江さんがおっしゃっていた、「当事者だけが集まっている小さな場から、外に向かって広がっていく」という、そういうこと自体がすごく意味があるなと思って。相手がどう受け取るかはコントロールできないので、別にそこは勝手にやっていけばいいやって。
—新澤克憲—[ハーモニー施設長](TURNフェス5、ゼミ3「じぶんをつくる」より
他者に対する、深い協働のためのまなざし。そのまなざしのありようによっては、傷つき、傷つけ合う場が生まれる。そしてその傷つけ合いによって、関係の幅が良い方向にも、悪い方向にも広がることがある。ならば、包摂される側とされる人々や、その人々を守ろうとする人々は、そのような傷つきが循環しうる場で、ささやかに、したたかに戦い続けることしかない。
TURNのなかにあるかもしれないし、見えなくなってしまっているかもしれない、「もうひとつのTURN」なるもの。それを探す視点は、社会のなかにいる自分にとっての障壁から身を逸らし、自らの「身のゆくみち」を孤独に開拓するという視点でもある。その孤独の根底につながっている、静かな、「悲しみの水脈」で得るつながりから生まれる表現を、突拍子もない音程を鳴らすキーボードの音色を思い出しながら、私は今も夢想している。
脚注
1 本文における引用は、すべてTURNフェス5の「『わたしたち』の場所を考えるゼミ『in/ex-clusion』」のゼミ1~3より。実施=2019年8月17日(土)10時〜16時、場所=東京都美術館(TURNフェス5会場内特設スペース)。
2 平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』講談社、2012年
長津結一郎(ながつ・ゆういちろう)
アーツ・マネジメント、文化政策学、芸術社会学などをベースとし、障害のある人などの多様な背景を持つ人々の表現活動に着目した研究を行う。また近年は、芸術活動の担い手育成や市民創作ワークショップをフィールドとして、芸術文化の持つ役割についての考察を深めている。博士(学術・東京藝術大学)。著書に『舞台の上の障害者:境界から生まれる表現』(九州大学出版会、2018年)。