「交流」について語る TURNアーティスト座談会
TURNで交流プログラムに参加する、3名のアーティスト。関わる期間や交流先も違いますが、交流プログラムでの出会いは3人にどのような影響を与えたのでしょうか。初めての交流の印象から、自身の変化、多様性とは何かまで、普段は関わりあう機会のない3人が「交流」について語りました。
<「TURN JOURNAL 2020 – ISSUE03(2020年3月発行)」より>
■ほかでは得難い出会い
——池田さんは写真家、マチーデフさんはラッパー、岩田さんはアーティストとしてTURNに参加されてきました。施設との交流を通して、どのような気づきがありましたか。
池田 2015年から「社会福祉法人きょうされんリサイクル洗びんセンター(*1)」(以下、洗びんセンター)と交流していますが、そこで働く人たちがとにかくカッコ良くて、ポートレイトを撮ったり、一緒にプロジェクトをしたりしています。たとえばその一人の高橋正浩さんは、30年以上、手書きの高速道路の地図を更新している。本人的には作品の意識もない日々のルーティーンですが、どこかで人に見せたい思いもあって。「だったら、ひらいてみようよ!」と持ちかけて、僕がドキュメント担当で、一緒に展示を行いました。写真家は人に会うのが仕事ですが、TURNはそんな自分に、出会いから何かをつくることの大切さをあらためて考えさせてくれた場所ですね。
最近では、もうひとつ関わっている「シューレ大学(*2)」のメンバーと洗びんセンターを訪れ、働くことをテーマにしたプロジェクトも行っています。いろんな取り組みをしながら感じるのは、施設のなかに(自身の施設を)オープンにしたい人がいることの重要性。中の人が、「こんな素晴らしいのに、みんな知らない」と思っている。僕の役割は、それを外に知らせることだと考えています。
マチーデフ 僕はもともと、葛飾区立石のまちで老若男女に話を聞いて、それをラップにする「立石ラップのど自慢」というフェスを開いていて。同じようなことをTURNでもできないかと声をかけられ、参加しました。TURNフェスでは4〜5カ所に話を聞きに行き、施設の人の思いをラップにしてもらいました。
実は当初は、成果物としてのラップの質についてはプレッシャーがあったんです。でも本当は、あまり重要じゃないんですよね。というのも、施設において利用者さんと職員さんは、ある意味で親子のような関係になっている。自分もそうでしたが、親って距離が近いからこそ反発したくもなるもので、純粋な友達というわけにはいかない。その中で自分の役割は、利用者さんの「友達」に全力でなることなんだ、それだけでいいんだ、なんて今は気楽に考えています。
池田 ヒップホップ的に言えば、「ブラザー」になることだと。
マチーデフ まさに「マイメン(*3)」です(笑)。もともとラップって、その人のアイデンティティや個性を大切にする音楽だから、TURNとは相性がいいと思っています。それに僕自身、社会の中で企業で働く大多数の人とは違う生活を送っているので、その意味で利用者さんに共感もありました。
岩田 訪れるだけで交流になる、というのはわかります。私は大学時代から、道に落ちている石のような自然物を観察・収集して、何かに見立てる制作を行ってきました。TURNには大学卒業後に参加しましたが、最初に訪れたのがアルゼンチンの施設だったんです。その際、現地で見せるために日本文化の伝統的な礼法の研修も受けたのですが、「ハレ」と「ケ」で言えばハレに当たる大切な領域に自分が関わっていいのか、戸惑いもあった。でも研修の先生から「そもそも地球の裏側から来るあなたとの交流自体が、現地の人にはハレなんだから」と言われ、その言葉に支えられました。
私には、そもそも自分の作品のためにいろんな場所に滞在し、制作を助けてくれる人を探すような、作家としての図々しさがあるんです。でも、TURNと関わってからは、自然に発生した交流にはどんな意味があるのかをより考えるようになりました。池田さんも言うように、そこでは他では得難いような人たちとの出会いがあった。そういう人に出会うと、私も何とかして形に残せないかなと思います。この感覚は、TURNに参加してより強く感じるようになりました。
池田 実は交流している作家が、いちばん贅沢な機会をもらっていますよね。
■「違い」が嬉しくなってきた
——マチーデフさんから利用者さんに対する共感という話がありましたが、池田さんと岩田さんにもそうした感覚はありますか?
池田 正直に言うと、交流を始める前は施設に対して近づきにくさも感じていました。でも、実際に訪れてみたら、社会のほかの場所よりもむしろ楽だったりする。写真家やアーティストは、基本的に世界に対して「よそ者」として関わる存在。そういう部分が響き合うのかもしれない。それは本当に、会ってみないとわからないことでしたね。
マチーデフ 交流先で意外だったのは、利用者さんのキャラクターを職員さんも含めてみんなで面白がっていたこと。たぶん、一般的には彼らのことを「笑ってはいけない」という先入観があると思うんです。当然、馬鹿にする笑いはダメだけれど、現場の光景を見て「そうだよな。何で個性として捉えてなかったんだろう」と感じた。そこにわりと早く気がつけたのは良かったです。
岩田 私も、交流先はすごく心地いいです。交流をしていると、家族とか友達のような自分の身近な人たちの小さな違いに気づけるようになって、すごく嬉しさを感じるようになりました。異文化交流は、実は日常の至るところにあると思えるようになると、生活が楽しくなる気がしますね。
マチーデフ 障害のある方を見るとき、以前はなぜだかわからないけれど身体が硬くなる感じがあった。それが今は、ぜんぜん構えなくなりました。軽くなった感じがあります。
池田 ずっと一緒に交流している写真家の川瀬一絵さんも同じことを言っていたなあ。でも交流している施設が、たまたま相性のいい施設だったのかもしれないんだよね。説明はつかないんだけど、その偶然は大事かもしれません。
マチーデフ TURNと関わりのある交流先は、個性を認めていこうという理解がある施設だと思いますが、たとえば完全に仕事を「介護」に絞っている福祉施設もあると聞きます。もちろん現場は業務も多いですし、それが大事なのだと思いますが……。
池田 難しいですよね。少なくとも、施設の「ひらきたい」という思いに応えようとすることがTURNでは大切だと思う。そこで言うと、岩田さんは施設への溶け込み方がとても上手だなと思いました。交流を始めるとき、何を「入り口」だと考えていますか?
岩田 私は制作のテーマが自然観察なんですけど、人のことも自然物として捉えられたら面白いなと思っていて。山のなかでは、ちょっとした地形の差で違う植物が育ったりする。均質な草むらではなくて、そうしたいろんなものがゴチャゴチャあった方が豊かなんです。しかも、それはつくろうとした違いではなくて、結果として生まれている豊かさ。私の場合、そういう自然に対する俯瞰的な目線を、人と接するときにも持とうとしているかもしれません。
池田 そのコントロールしない部分と、ゴールの成果物のバランスはどう考えていますか? 実は最初からこう進むと見えているのか、迷いながらやっているのか。というのも、TURNではプロセスに重点を置くものが多いけど、岩田さんは成果物が圧倒的に良いんですよ。
岩田 基本的にはずっと迷っているし、脱線します。2019年から交流している「グランアークみづほ(*4)」でも迷子になりかけているのですが(笑)、発表する機会があると、そこに向けて形にする熱が高まっていく。でもそのとき、1回でまとめようとは思っていなくて。私は昔、映画監督になりたかったんですけれど、今の制作はシリーズの映画を撮っているのに近いなと。1回で完結しようとするのではなく、そのなかの1章、2章というつもりで臨んでいますね。
■「あわい」の場所を生み出す
——最後に、「多様性」について考えていることを聞かせてください。
マチーデフ 最近はよく「ダイバーシティ」が大事で、人それぞれの価値を尊重しようと言われますよね。たしかにいろんな人の居場所はできていると思う。ですが一方で、より細分化されている側面もある気もしていて。コミュニティが分裂して、たとえばSNSで自分がフォローした人のタイムラインしか見ていなかったり、同じ価値観の人が集まりやすい状況がある。でも、それだと視野狭窄になって、異なる価値観の人に会ったとき摩擦や排除の気持ちが生まれてしまう。
本来のダイバーシティって、コミュニティがどんどん乱立するだけではなく、お互いを認め合うことがないと生まれないんじゃないかと思うんです。そうした中でTURNは、その断絶、摩擦を緩和する役割を担っていくことができるんじゃないかなと。必ずしも本当の意味でわかり合わなくても良くて、違いがあることがわかることが大事なんじゃないかと思います。
池田 とてもよくわかります。
マチーデフ 自分と似た価値観の人とつながりやすい今の社会は、自分を普通と思い込みやすい状況かもしれません。でも、現実の世界ですぐ隣にいる人が自分と違う考え方である可能性は高い。そのとき、違和感は自分にも向けられるかもしれない。その可能性はもっと意識できると良いのかなと思います。
岩田 私にも、違う価値観の人に出会ったとき、その人を無意識に避けたいという思いは生まれていると思います。でも、なぜ避けたいと思ったのか、それすらも不思議に捉えてひとつのきっかけにできたらいいんじゃないか。そういう違いを楽しむ気持ちが大切だと思います。
マチーデフ 楽しむことが大事ですよね。それを意識的にやらないといけないのが今で、今後世の中はどんどん効率的になると思う。でも、効率を求めると偶然性がなくなる。そこで自分と違う世界にポンと飛び込む偶然性を、いかに意識的につくれるのか。それをTURNでやりたい。
池田 今の話の延長で言うと、僕も岩田さんと同じく石が好きで、拾いに行ったり、見立てを楽しんだりするんです。そうすると、世界の見え方が変わるんですよね。ひとつの石に対しても自分の眼が肥えていき、景色の見え方が違ってくる。最近読んだ能楽師の安田登さんの『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』という本が面白くて、たとえば床の間とか縁側とか、日本のさまざまな伝統文化にある中間的な世界に、摩擦ではなく、外と内をつなぐ「あわい」の力を見るんです。安田さんは、そういう場所がこれからは大事と語っていて、感動したんですよね。
マチーデフ そういう「あわい」の力や場を生み出せるのが、アートやエンターテインメントかもしれませんね。一見、なくてもいいもののように見えて、実は大切な働きがある。
池田 そう思います。だから最近は、人と人が出会う場をつくりたいと思っていて。ビジネスマッチングとか、障害の有無ではなくて、人と人が交われる場所。それを進めたいと思っています。
(注釈)
*1 社会福祉法人きょうされんリサイクル洗びんセンター:東京都昭島市にある、就労継続支援事業B型、就労移行支援事業を行う事業所。びんやリユースカップの洗浄、とうふの製造・販売、チラシセット作業、 食品加工作業、 軽作業、 物品販売などの仕事に取り組んでいる。
*2 シューレ大学:不登校やひきこもりを経験した若者たちが主体となって、自分に合った生き方をつくり出す大学として東京都新宿区に生まれたオルタナティブ大学。2015年からTURNの交流先施設として参加している。
*3 マイメン(My Man):親友、 仲間という意味。「ブラザー (Brother)」とともに、おもにヒップホップにおいて親しみを込めて呼びかける言葉。
*4 グランアークみづほ:2019年、東京都品川区に社会福祉法人慈雲福祉会により開設された特別養護老人ホーム。
写真:池ノ谷侑花[ゆかい]
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