活動日誌
「第13回TURNミーティング」レポート
2021.3.26
さまざまなゲストを迎え、「違い」を表現に変えるアートプロジェクト「TURN」の可能性を考えるトークイベント「TURNミーティング」。その第13回を、3月6日(土)、3331 Arts Chiyodaの「STUDIO 302」を起点に、オンラインで開催しました。今回のテーマは、「きく・ふれる・そうぞうする 〜身体感覚を通してとらえる世界〜」です。
今年度のTURNミーティングは、各分野で活躍される盲ろう者やろう者をゲストに、多様な世界の捉え方や、触覚や視覚の潜在的な力について考えてきました。今回は、ブラインドサッカー選手として活躍する駒崎広幸さんと鳥居健人さんを招き、聴覚や触覚を頼りとした空間把握や身体感覚について、大のサッカー好きで日本サッカー協会理事でもあるTURN監修者の日比野克彦とともに思考を深めました。
スポーツとアート。一見異なる分野のあいだに共通する「想像する力」にも話が広がった、イベントの模様をレポートします。
■ アートとサッカーをつなぐもの
今年度のTURNミーティングでは、さまざまな参加者がより内容を楽しめるよう、アクセシビリティの向上を目指したオンライン配信を行ってきました。この日も、配信スタジオである「STUDIO 302」からは、バリアフリー活弁士の檀鼓太郎さんによる音声ガイド、4名の手話通訳者による手話、出演者の声を画面上で文字にするなど、多様な「ことば」を発信しました。手話通訳は第11回、12回のTURNミーティングと同様に、耳の聞こえる通訳者「手話サポート」がまず出演者の声を手話に変換し、それを耳が聞こえない「手話ナビゲーター」が改めて手話に変換し、視聴者に伝えていきました。
司会のライラ・カセムによる挨拶のあと、日比野とTURNプロジェクトディレクターの森司が登場し、今回のイベントの背景について語りました。
大のサッカー好きの日比野は、過去にサッカーをテーマとする作品やワークショップも手がけてきました。その一つが、2005年に初めて水戸芸術館で開催され、その後県外にも広がった「HIBINO CUP(ヒビノカップ)」です。参加者は、まずダンボールでボールやゴールを制作。その後、つくった道具でサッカーの試合を行います。ダンボールのボールはデコボコで、ゴールもいびつなかたち。しかし、子供を含む多くの参加者が楽しみ、水戸芸術館の正面広場で年に一回開催されてきました。
一方、「MATCH FLAG PROJECT(マッチフラッグプロジェクト)」は、対戦する二つの国の国旗を一つの布の上で合体させ、試合に向かうサポーターたちの想いをかたちにするプロジェクトです。2010年のワールドカップ南アフリカ大会に向けて始まり、こちらも現在も継続されています。
「小学校の頃は体育と図工が好きだった」と日比野。そんな日比野は、サッカーをはじめとしたスポーツとアートの関係について、「スポーツのなかには、ボールをゴールに運んで勝ちたいという本能がある。アートにも、色や形を見てワクワクする本能がある。絵も手の運動の軌跡によるもので、サッカーも自分のイメージを身体の運動で表現する。両者は僕のなかでとても近いものなんです」と語り、ゲストとのトークに向けた意気込みを見せました。
また森は、今年度に開催してきたTURNミーティングに触れ、盲ろう者の森敦史さんを招いた第11回TURNミーティングでは「触覚」が、ろう者の那須英彰さんやモンキー高野さん、手話通訳士の高島由美子さんを迎えた第12回TURNミーティングでは「視覚」というキーワードがあったことに言及。そうしたなかで、今回は「聴覚」が一つのテーマになると語りました。
■ 耳を通して描かれる、頭のなかの絵
つづく第一部では、アーツカウンシル東京の長谷川知広が聞き手となり、この日リモートでの参加となったゲストの二人と、ブラインドサッカーの紹介を行いました。
鳥居健人さんは、2歳の頃に失明。盲学校に通うなか、11歳でブラインドサッカーに出会います。15歳のときに日本代表としてブラインドサッカーの世界選手権に出場し、現在は「free bird mejirodai」というチームで活躍をしています。
一方の駒崎広幸さんは、34歳のときに「網膜色素変性症」に。45歳でブラインドサッカーを始め、現在は「埼玉T.Wings」というチームでプレイしています。また、ブラインドボクシングやサーフィンも行うなど、さまざまなスポーツに親しんできました。
二人が行うブラインドサッカーとは、どんなスポーツなのでしょうか?
ブラインドサッカーは、視覚障害者と健常者が協力して行うサッカーで、基本のルールは5対5で行われる「フットサル」に近いものです。選手はアイマスクを着け、ボールは転がると音が鳴るものを使います。サイドラインにはボールや選手が外に出ないよう1メートルぐらいの高さのフェンスがあり、守備の選手が攻めの選手のボールを奪いにいくときは、「ボイ!」という声を出さないといけません。
また、ゴールキーパーやゴール裏にいる「ガイド」と呼ばれる人は、健常者または弱視者がアイマスク無しでプレイします。ガイドは、ピッチ上の選手にゴールまでの距離や角度などを声で伝える役割を担います。このように、ブラインドサッカーでは聴覚が大きな鍵を握ります。
そんなブラインドサッカーの魅力について、鳥居さんは、「視覚障害者と健常者が協力しないとできないスポーツであること。普段の自分は健常者よりも行動が制限されますが、このピッチ上では想像力やひらめきを生かして自由に動いて表現できる」と語ります。
さらに、興味深いことに、鳥居さんは試合中、ピッチを一種の「キャンバス」のように見立て、ボールや自分の動きという「線」で絵を描くようにプレイしていると話します。「音にも足音や敵と味方の声など、いろんな音があります。それをしっかりと聴き、頭のなかに状況を絵として描く。そこから、自分の動きを決定しています」と鳥居さん。
この話を聞いた駒崎さんは、「自分は目が見える時期もあったから、頭になめらかな絵を描くことまでは難しい。僕の感覚では、プレイ中の頭のなかは、カクカクとした数学の座標に近いです」と話します。同じブラインドサッカーの選手でも、その身体の状況や経験に応じて、それぞれの選手のなかには異なる感覚があることが見えてきました。
また、ブラインドサッカーには、独特の戦術もあります。たとえば、いったん敵陣に入り込んだあと、今度は自陣に戻ると、守っている選手は離れる足音を聴き、それを敵陣に向かう味方の足音だと錯覚して油断すると言います。当日は、実際に鳥居さんがプレイする試合の映像を見ながら、こうした戦法について二人が解説を行いました。
このパートでは、駒崎さんが行うブラインドボクシングの映像も紹介しました。ブラインドボクシングは空手の型のような採点競技であり、目隠しをしたプレイヤーが、首に鈴を着けた敵役のトレーナーのミットに向かい、2分間のスパーリングを行います。
ここで興味深いのは、駒崎さんが「ブラインドボクシングとブラインサッカーでは音の捉え方が違う」と話したこと。「ブラインドサッカーでは、よく『おでこで音を聴く』と言われますが、ボクシングでは、おでこで聴くと相手に正対してしまう。相手に対して斜めに構えるため、僕のなかでは引いた右足のつま先で音を聞くイメージをもっています」と語ります。「音=耳で聴くもの」という固定概念が揺さぶられるエピソードでした。
■ お互いの感覚を知り、つなげる想像力
第二部では、日比野と森が聞き手となり、第一部の話をさらに深めました。
日比野から、プレイ中の頭のなかの絵について聞かれた鳥居さんは、「プレイする自分、それを上から見ている自分、その絵を描いている自分がいるイメージです。その絵に色はあるかと聞かれれば、ないと思う。ただ、間違いないと思う動きは太い線で描くなど、線の強弱は状況で変わります。僕は風の流れや人の声も情報にしています」と語ります。そして、鳥居さん自身がそのように想像しながらプレイをすることが好きなため、「ガイドにはあまり多くの情報ではなく、とにかく声を出し続けてほしい。ガイドとの関係はとても重要で、練習中からいろんな細かいすり合わせを何度も行います」と続けます。
すると、話を聞いていた駒崎さんから鳥居さんに、「ラジオの周波数のように、聴きたい音に焦点を当てる感覚はありますか?」との質問が。これに対して鳥居さんは、「自分はあまりどこかにフォーカスする感覚はない。どちらかというと、すべての音を拾い、それらを整理するために絵を描いています。イメージは上からだけでなく、横からも見ます。意識がどこにあるのかは、視覚障害者は常に意識していると思う」と返します。
では、現実と頭のなかの絵がズレた場合はどうするのか。鳥居さんは、「シュートが外れたらガイドから情報をもらいます。描いて終わりではなく、その情報をもとに何度も修正や追加をします」と説明。さらに駒崎さんも、「そうしたズレはブラインドボクシングのなかでもあります。ボクシングの場合、ジャブのパンチの触覚が重要で、敵との接触がないと綺麗なパンチが出せない。自分のなかで決めたパンチを打つのではなく、絶えず相手との応答のなかで、相手から打たれることも想定して次のアクションを決めます」と話します。
そこからトークは、日常生活の音の話題へ。日比野が言うように、普段、多くの人は視覚情報に比べ、聞こえる音にそれほど深い意識を向けることはないかもしれません。しかし鳥居さんは、「僕は、音の世界がすごく面白いんです。僕には見えていた時期の記憶がありませんが、音の世界も楽しい。見える人たちには、もっと音の世界を知ってほしいという気持ちがあります。それを知ると、もっと生活が楽しくなると思う」と語ります。
一方、コロナ禍を受けて、街の音のあり方にも変化があると言います。
駒崎さんは、「お店など、普段音楽が流れていた場所に音がなくて、あれ?と思うことが増えました。また、僕は明るいか暗いか、はわかるので、街を歩いていていつもは明るい場所が暗く、困ることもあります」と現状を説明。鳥居さんも、「コロナ禍では頼りにしている情報が少なくなって、頭のなかの絵も淋しい絵になっている」と言います。
ただ、こうした日常生活における空間把握とブラインドサッカーの関係について、鳥居さんは、「僕は、ブラインドサッカーをやっているおかげで頭のなかに絵を描くのが得意になりました。普段街を歩いているときも、無意識で聞こえる情報を絵にしている。それはブラインドサッカーの経験から学んだことだと思う」と話します。
ゲストの二人から、一連の音の世界や経験を聞いた森は、「今年度のほかのTURNミーティングのゲストにも共通していましたが、みなさん何かを『補う』という感覚ではなく、もともともっている力を最大限生かして楽しんでいる。その世界を知ることは刺激的です」と語りました。
トーク中には日比野がアイマスクをして、スタジオ内でブラインドサッカーのボールを転がす場面も。画面を通したやりとりのなかにも、お互いの感覚を知り合う柔らかな空気がありました。
最後に、ゲストのお二人から参加した感想をお聞きしました。
駒崎:僕は途中から目が不自由になったので、無意識に行っていることを意識しないと、見えない世界に馴染むのは難しい。その意味で、ブラインドサッカーは健常者には遠いスポーツかもしれないけど、見るのと実際にやるのではだいぶ違います。みなさんにもぜひ、一度体験してみてほしいです。
鳥居:人にはそれぞれの感覚があります。見えない僕は触覚や音に、ろう者の方たちは見ることや触ることに注目していると思う。お互いの感覚を掘り下げたり、自分が不得意とする感覚を得意とする人はどんな感性をもっているかについて知ることは、すごく刺激的です。さらに言えば、同じ視覚障害者でも僕と駒崎さんの感覚が違うように、健常者も障害者も個人で感覚が違う。それを知り合うことが、とても大切だと思います。
話を聞き終えた日比野は、「僕もサッカーをしていたから、お二人の話は身体的に入ってきやすかった。自分はアートをメディアにしてきたけど、今日の話を聞いてスポーツにも大きな可能性があると感じました」と感想を述べます。また森も、「想像するという感覚や言葉が、文化のなかで使う意味だけではなく、スポーツの世界でも使われ、クリエーションが起きている。それを共有できたことが大きかった」と手応えを見せました。
■ コロナ禍に見えた、人が持つ感覚の広がり
イベント終了後、ゲストの二人と日比野に、改めてトークの感想を聞きました。
鳥居さんからは、「日比野さんに頭のなかの絵を共感してもらえて嬉しかった」と、対話から見えたブラインドサッカーとアートの共通点に興味をもったとの声が。また、多様な個性が集まり一つの場をつくるTURNミーティングにも、可能性を感じたと言います。
一方、駒崎さんは、「自分は鳥居さんのようにイメージをすることには長けていない。その意味で難しさもあったが、だからこそ、鳥居さんのような立場の人と健常者のあいだに立つこともできるかもしれないと感じた」と話します。そして、TURNミーティングについては、「多様な背景の人がいるのに、みんなが違和感なく交流しているのが良いと思いました。こうした環境が、社会で当たり前になればいいですよね」と語りました。
日比野は、「これまでブラインドサッカーを映像などで見て、目が見えないのにすごいなと漠然とした感想をもっていました。でも、今回初めてその世界に深く触れ、驚きを感じると同時に、身体的に納得できる部分も多かった」と語ります。「状況を俯瞰して見る感覚がないとサッカーはできない。僕は視覚に頼りがちだけど、二人は空間把握を音を通してやっている。同じスポーツの感覚を通して、障害の有無を超えた共有ができたと思う。スポーツとアートにある、違いを超えたつながりをつくる力を再認識しました」。
また、日比野は、聴覚や視覚、触覚といった感覚に注目し、新しくオンライン配信にも取り組んだ今年度のTURNミーティングを振り返り、「今後は人の未開の能力の発見がより重要になる」と指摘します。
日比野:現在は、モニターなどを通した画像としての視覚や、音声としての聴覚、つまり情報化された感覚が中心の時代。でも、今日のお二人の話にもあったように、人には、目で見る、耳で聞く、口で話すといった器官と機能の一対一の対応関係を超え、つま先で聞き、耳で絵を描くような能力もある。これから人が生きる力を失わず、多様な社会を築くうえで、そうした力はさらに重要になると思います。
今年度のTURNミーティングは、さまざまなゲストの話を通じて、人の感覚がもつ潜在的な可能性に改めて目を向ける機会になりました。日比野はそれを、「ハンディではなく能力」と表現します。また、コロナ禍という時間は、あらゆる手段を使ってTURNという取り組みへのアクセスを試行錯誤する、学びの時間ともなりました。そこで得た経験を生かしながら、来年度からもTURNはさまざまな挑戦を続けていきます。
執筆:杉原環樹
写真:鈴木竜一朗
関連記事